>>644
ある日妙信講が支部登山をして、宿坊が大化城だったか大講堂だったか忘れたが、多分大講堂ではあり得無いと思うが、そこの仏間の御本尊が消失したと宗務院から妙信講に連絡があったらしく、それについて妙信講として「そもそもそこに仏間があったことすら知らないから犯人は妙信講ではない」と手紙を送ったとあり、それは宗務院の謀略だと書いてあったような。
でも良く考えてみると宿坊の御本尊に挨拶するのは当たり前なのだから「そこに仏間があったことすら知らない」わけはないんだよね
試練と忍従という本だったかな?
忍従という言葉がそもそも他人に従えない浅井の境涯なんだけどね
「私は指導教師に恵まれない」
という浅井の当時の言葉は有名だが、「それはあなたの命の境涯が原因なのでしょう」と連合会から指導されたことを、ずっと逆恨みにしていた時期なのでしょうから、その辺の浅井の魂胆を見抜くと紛失騒動も満更白とは言えないでしょう