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2017/12/12 13:59
爆サイ.com 北海道版

神道・仏教





NO.5771424

日蓮系始め仏教系へ質問します③
好評に付き、 PART3スレを立てました。
日蓮系でも、他の仏教系でも、どんな教え、何故正しい等をわかりやすく説明して下さい。
報告閲覧数641レス数1000

#9512017/12/09 23:04
>>949
ありがとうございます

[匿名さん]

#9522017/12/09 23:17
般若心經は仏教の中心なんかじゃあ ありません!! 法華経以外の経典は全て 虚像!! 影!! 絵に書いた餅!! 鏡に移ったみかん!! 真実の教え(法華経)に導く為の手立て… これを 「方便」と言う 貴方の仏教観は僻め! 顛倒! 邪見!! 妙法蓮華經こそが仏教の真実教! 南無妙法蓮華經

[みのり]

#9532017/12/10 07:26
>>949
お忙しい中
ありがとうございました。

[匿名さん]

#9542017/12/10 08:09
>>952
みのりさん江



南無妙法蓮華經=「經」



頭隠して何とか・・・ 笑

[匿名さん]

#9552017/12/10 08:39
>>952
何が「仏教の真実教」だ
そんな低い思考で物事をかたずけるなど言語道断
高橋の言うことなど屁の突っ張りにもならん
自ら体得せず実践を供わない机上の空論
幾つもの無駄なスレを乱立させ
他人の家に土足で上がるの如く他人の論議に不必要な知識をひけらかし邪魔をする
幾つもの名を騙り、しまいには他人に成り済まし嘘をつく
他人の書き込みを全て否定し自らの主張に陶酔している思考的背景からも全てに異常ともいえる精神的な疾患が見受けられる
そのような輩の言うことを誰も聞く耳などあるわけない
精神的疾患の自覚がないだろうが早期に治療が必要だ

[匿名さん]

#9562017/12/10 09:22
五蘊(ごうん)とは五つのかたまりと言う事、人間は五つの かたまりで出来ている。

どういう五つの かたまりかと言うと、肉体と心 精神ということによって人間は成立しているという事が見てとれたから

「死んでも死なない命があるよ」と仰る事は

五蘊皆空(ごうんかいくう)という事を理屈を払って、 照見(しょうけん)見て取っておられる姿と思って下さい。

どういう風に見て取られたかと言うと
色受想行識 これに蘊(うん)を付ける訳です。

色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊 この五つの、かたまりで人間は出来ているという事が見える。

肉体だけじゃない 命、魂、心という物とかが 一つになる事によって 人間は生きている。

しかも その肉体もフー(眼力)とやればハラハラと透けて見えてくると
キラキラと輝いている。

心と言っても目の玉があったら全て見えるか、というとそうではない。
目の玉に繋がる神経が脳味噌の中に入っていって、その脳味噌の中に数え切れない沢山の細胞がある。

細胞と細胞が節、節というもので結び合わされている。
その数たるや何十兆という。
未だに科学で そのメカニズムが解明出来ていない。
どうして 見たら ヨダレをたらすのか?
どうして 見たら 赤くなるのか?
どうして 見たら心臓が動機を打つのか?

解ってきた部分もあるけれども、微妙な精神的な作用となると未だに解明たるや出来ていない。

[匿名さん]

#9572017/12/10 09:29
ところが覗かれた訳でもない、顕微鏡で見た事がない お釈迦様が

「肉体があって目玉があって、神経があって、脳細胞があって、すりつぶしていったら科学の力では見る事が出来ないような、しかし、焼いても焼けない、切っても切れない、そういう心の根源的な存在があるよ」

というふうにまで見て取られた。

死んでもフッと そこに出てくる魂、その魂が お母さんに頼み お父さんに頼み、よっしゃと言う。

一つの精子の上にのっかかる、卵子の上にのっかかる、そして合体をして そこにのっかかる。
それが段々 細胞分裂をしていく。

眼耳鼻舌身意(げんにびっぜっしんに) あっ そこに目がある、あそこに頭がある あそこに手がある あそこに心臓が動いている そうして段々 分裂していく訳です。

しかし のっかかっている魂は一つ、生命その物は、どんどん分裂していく訳です。
しかし のっかかっている魂は一つ、生命そのものは一つ、でも生命が そこに、のっかからんかったら 只の物体で終わったという事です。


★解説は長くなりますが
般若心経はわすが270文字余りの短い お経です
1分で読めますので是非、暗記して下さい。

[匿名さん]

#9582017/12/10 10:40
>>957 そんな賞味期限切れの薬である般若心經なんかの解説をされて、いったい何が目的ですか? 法華経へ導く為ならば、正しい論法でしょうが… 貴方の心中には法華経への絶対信が無いようですから、法華経への謗法でしょう!! 久遠釈尊の法華経を誹謗し、諸仏や諸菩薩、諸尊達を蔑ろにする邪見 これを謗法と言うのです…。

[ご存知より]

#9592017/12/10 11:00
>>958
つい笑いが込み上げてくる

有効期限の切れた薬を飲んでいたら高橋のような思考状態になるんだろうか(笑)

おまえは世の中では通用しない
世の中の迷惑なんだよ
去れ!

[匿名さん]

#9602017/12/10 11:51
一番目の色これは肉体 物質 これを色蘊という。
これが無かったら いくら心があっても さっきです。
水が飲みたいと思っても飲めない。この色のつく色、形、物質ていうものの色蘊を得るがゆえに 人間が人間としての営みが出来る。
やっぱり死にたくない、手放したくないと思うのは無理からん所ですけれども
受想行識(じゅそうぎょうしき)
これが心を この四つに分けておられるという事です。

「ハイ、Aさん、これを投げるよ!ソレッ」
(重い花瓶を投げるふりをして)

色、肉体がある 目の玉がある 鼻がある 口がある 耳がある 皮膚がある
こういう物体 物質 肉体というものを持っている。
そして そこに六根がある。
眼耳鼻舌身意。穴があいている。
それが受ける機関だから、さっきのように花瓶が飛んで来たら えらいこっちゃと思う、まさか投げはしないが こうして投げる格好をしたらどう?

あんな顔をしなくてもいいのにね、でも そういうふうに受想行というふうに、受ける、入ってきたでしょ?

そこで危ないと思ったら身体をビッと動かして
受想行というふうに受けて返しが出来る。
聞いたら やり返してくる、入ってきた蘊、受け止めた、そこで何かと思って返動が出てくる。

聞いた、そこまで言わんでもよかろうにと ブーとはぶてる。
受想行、受想行 この受想行で私達は生きている。

受だけだったら しんどいね。こうやって(見る、聞く等)で終わり。
でも 想ってそれを出して行く。
この精神的な営みが肉体の中に くっついていてくれるお陰で生きている。

死ぬ時は一番目の色と受想行が離れていくという事。
最後の識。この識がくせ者で ここに今 色々 受想行の体験 経験というものが蓄積されているととらえて下さい。


★爆さいの不毛な論議も識に蓄積されるという事は受け流して反応しないのが良いと思います。

[匿名さん]

#9612017/12/10 12:05
>>960
おっしゃるおおりですね
最低の道理もわきまえず仏教知識をひけらかす輩の投稿など片腹痛いですからね
受け流して反応しないようにいたします

[匿名さん]

#9622017/12/10 14:41
受想行識 これだけ、だから ギュッ、目に入った、思う、もう忘れていると思っても この識には もうチャンと入っている。

だからAさんと この世で初めて顔をあわせた。するとAさんが どういう顔をされたか。

「ムッ、変な寺に来たな、やくざか坊さんか、どうも、やくざのようだ、帰ろうかしら」

と思われた。
私は初対面です、それまで この世においてAさんを蹴飛ばした事もない、金をゆすりに行った訳でもない、何もない、しかし
「どうも、あの手の顔は苦手」
という すりこみがある。
それは どこですりこんだか定かではない。
この世でなければ前世である、前世でなかったら前前世、しかも そこには 親の因果が子に報いじゃ無いが 親の体験 経験も。

親にも識がある、母さんにも在った それが自分の身体に入ってくる時、全部が入って来たり一部が入って来たり、この子には余計 入ったり この子にはちょっと入ったり
色々 諸行無常で変化がある。

同じ お父さん お母さんでも兄弟でも色々違う。
そうしたところに子供自身の因縁と両親の因縁、そうした複雑な絡み合いというものがあって個性が出る。

直接 私が あの人の前前世に魂に向けて意地悪をしてて

「あの方の顔だけは金輪際忘れてはなるものか」

と死んで死んで また この世に出て来て バタッと出会ったものだから
モーと嘆く。
そんなのと選ばねばいいのに皆そんなのを選んで同じ屋根の下に住んでいる。
避けた方がいいのに、同じのを大体また選ぶと
仏様も嘆かれます。

その識はそういう存在。焼き場に行っても焼けない。これがウロウロしている。帰る時には

「住職、一緒に帰りましょう、帰りましょう、あれらは、もう2時間ばかり焼き場においておけばいいですから。住職、私は一緒に帰りますから。」

と言って車の後ろに来て一緒に座られる。
ウ〜ンと思うけど これは何が付いてくるかと言うと 識(魂みたいなもの) が付いてこられる。

[匿名さん]

#9632017/12/10 14:43
識というものが潜在意識なんでしょうか?

[匿名さん]

#9642017/12/10 15:00
>>963

識は魂で良いと思います。
魂は無いと否定する仏教徒は非常に多いのですが

何も見えてないからであり、私が紹介している僧侶は世界一と言っても過言では有りません。
(僧侶が内容を見れば度肝を抜くと思います)

世界的に有名な上座部仏教の高僧や様々な仏教本を拝見して来ましたが

???となります。

[匿名さん]

#9652017/12/10 17:24
>>964
その僧侶様に死ぬまでに会ってみたいものです

[匿名さん]

#9662017/12/10 18:50
識の間を繋ぐのは受想行という神経、しかし この目で見える部分から段々 見えなくなって精神的な働き、しかし それは確実に存在している(魂が)

だから死んでの魂も、フッと一瞬無常、生きている この肉体もフッ、全く同じ、そんな存在だとおっしゃっているのですが…
見えん者には見えるものしか勝負が出来ない。だから見えるものに余計しがみつく事しかないという事でしょうか。

これが全部一色のものというのは、空(くう)というものによって成り立っている、というふうに見て取られたよと言う。

空というものは どういう状況というか 先程から申し上げるように、全部バラバラ、分解、Aさんもフーとやったら泡だけ、
私の細胞とは違うと思うのですが、残念でした、私と変わりは有りません。

苦、無常 無我を見て取れる 根源的な物の見方をしたら この世の中は空という一色の物によって出来ている。
この空なるキラキラ輝く この物は昔から そのまんまに存在し続けて これから先も無くなるよ というふうな物でもない。

増えもしない 減りもしない 汚れもしない 綺麗になるという事もない、
その身そのまんま、キラキラキラキラ…只々々、輝いている。
宇宙に変貌し充満している。
宇宙一杯に広がっている。
それが たまたま水蒸気が水に 水が氷に固まる、
そのごとくに何かの因縁、縁、環境、条件によって地球になって小さな命になって、人間というものに また成ってしまったという。
それもフッ(眼力)とやれば人間もキラキラ地球もキラキラ 敵も見方もキラキラ
これが空(くう)であると考えておきましょう。

肉体も 背の高い人も低い人も 太い人も細い人も
フッとやれば全部同じぶっ繋がり。
かき混ぜてしまえば何も無い、全部平等。

そうした私達がここに 我が我の城を作って私がー私がー あの人が あっちが こいつがとやる所に本来の生きざまとは違う。

本来 空なる ぶっ繋がりで平等 あっちを蹴飛ばしていると 本当は私を蹴飛ばしていると一緒、というふうな傷みというものも
見えるようでないと
幸せとは反対になっている。

[匿名さん]

#9672017/12/10 19:12
>>965

それはちょっと難しいです、すいませんm(__)m


観自在菩薩 (かんじーざいぼーさー)

行深般若波羅蜜多時 (ぎょうじんはんにゃーはーらーみったーじー)

照見五蘊皆空 (しょうけんごうんかいくう)

度一切苦厄 (どーいっさいくーやく)

舎利子 (しゃーりーしー)

色不異空 (しきふーいーくう)

空不異色 (くうふーいーしき)

色即是空 (しきそくぜくう)

空即是色 (くうそくぜーしき)

受想行識 (じゅーそうぎょうしき)

亦復如是 (やくぷーにょーぜー)

舎利子 (しゃーりーしー)

是諸法空相 (ぜーしょーほうくうそう)

不生不滅 (ふーしょうふーめつ)

不垢不浄 (ふーくーふーじょう)

不増不減 (ふーぞうふーげん)

般若心経の、ここまで解説しました。半分ちょっとですかね、残りは明日になります。

[匿名さん]

#9682017/12/10 20:39
般若心經の空即是色 色即是空の空について… 一切の般若経典では、「空」とは何か…? この説明を釈尊は避けておられます。 では、なぜなのでしょうか…? それは、時が到らないからであり、衆生にまだ教えを理解し、信じるだけの機根が具わっていないからであるのです…。 では、いつお説きになられるのでしょうか…? その答えは、後に説かれた法華経にあるのです… 一切の般若經の限界が、ここにあるのです! 皆さんはこの事を何も知らずに 唯 般若心經は一切の般若經類のエキスだと思い込み、般若心經は仏教の中心思想とまで、勘違いしているのです…。 かの天台大師は五時八教に於いて、第四番目に釈尊がお説きになられた経典であると、結論付けたことは、間違いではなく、最もな主張であるのです…。 「空」そのものが何であるのかを説かれずに、般若經の説法は終わりを告げられます…。 この「空」こそが、釈尊の悟りに繋がる思想であるが故に、説き明かさず、第五番目の最大の教えに至ります…。 この法華経こそ、この空の概念を解き明かしておられるのです…。 言うなれば、般若經類は片手落ちな経典であると言わざるを得ません…。 さて。 法華経には迹門と本門思想がありますが、迹門観からすれば、「色即是空 空即是色」を「諸法実相」という思想で説明され、本門観では「久遠実成」と明かされているのです。 即ち空とは 久遠実成であり、言葉を変えればそれは、「一念三千」となるのですから、この迹門・本門思想は末法の私達には到底信じることができないくらい、難信難解であるのです…。

[ご存知参上]

#9692017/12/10 20:50
>>968
最近次々と名前を変えてる
症状が悪化しつつある
書き込みはどうでもいいから明日は現場を休んで診察してもらえ

[匿名さん]

#9702017/12/11 18:31
>>967
謝らないで下さいませ。
たぶん無理だろうなあと思いながら
書き込みしましたので

[匿名さん]

#9712017/12/11 18:41
>>968
阿呆!

[匿名さん]

#9722017/12/11 19:07
分からない?いまだに疑問?
他宗は邪宗と解いて、
勧誘をするのか?
他宗の信者勧誘し入信をさせれば
邪宗になって行く物じゃあ無いでしょうか?
現に日蓮宗から分かれ日蓮正宗、創価、顕正、
立正、その他になっています
どう見ても筋道が違う気がします
理解不能です

[匿名さん]

#9732017/12/11 20:16
肉体も空(くう)、そして受想行、物の見方、取り方、考え方も随分違いますね、同じ現象を見ても、あーいいねと思う人、なんねーと言う人、色々な見方、取り方もあるが、その精神的な働きも、細胞も神経も全部 空(くう)。
その空に一番近いのが識。
目には見えぬが、しかし空気が見えないから無いと言うのとは違うように、この識と言うものが
人間の体験、知識、諸々 全部そこに叩き込んでいる。
存在をしている、しかも それも空である。

肉体、精神、魂、全て一色の物で出来ている。
だから死んでも死なない、壊れても無くなったという味わいとは全く違う。

よく禅宗の坊さんあたりが、お前の宝は何だ?と聞かれて
「宇宙そのままよ」と言う。
そういうふうな境地はと言うのは、座って座って禅定波羅蜜を極めて そういう 空なる世界というものに彼は突入していって、限りなく手が伸びていく、心が伸びていく、身体が、虚空に広がっていく。
宇宙と自分とが一つになっていく。宇宙がそのまんま己れの身そのままであり、自分の心が そこにおるというふうな境地というものを座って座って身体で会得してしまう。

だから立ち上がった時には もう言う事が違う。する事が違う。目付きが違う、ボーとしているようだが 一言 言葉を発すれば 皆がなるほどと いうふうな事をやっぱり言われる。
少ししか見えない、少ししか悟れてないから その枠でしか物が見えない。

これをいかに時間 空間を四方八方十方に突き抜けて広げていくか、それが広がったら人間というものは五蘊、AちゃんもBちゃんもない。

舎利佛やよく聞きなさいよ。観音様はこういうふうに悟されたよ。
色すなわち肉体というものは本来 空なる物と異ならない、空その物なんだよ。
キラキラと目に見えない手に取れない存在なんだけれども 空(くう)なる物が肉体その物を形造っている、それに異ならない。
色即是空 空即是色 と答えられる。

Aさん=人間、Bさん=人間、と言う事はAさん=人間=Bさんだから、Aさん=Bさんであると、こうなると、ちょっとおかしい。
だから色は空で、空は色だと言っても本当はこっち(空)とあっち(色)が、ちょっと違うと言う時もある。

だけどやっぱりそうではない。Aさん=人間、Bさん=人間、でもAさんもBさんも同じ、という数式がここに書かれている。

[匿名さん]

#9742017/12/11 20:28
結局はお釈迦様の教えですね

[匿名さん]

#9752017/12/11 20:50
今の現代本当にお釈迦様
教えを理解してるか?
何千年前の事を理解出来るか?
お釈迦様の真の教えは別に?

[匿名さん]

#9762017/12/11 20:55
色即是空 空即是色 もう一度 色即是空 空即是色としてあるのは
これが分かったかねという抑え込みである。
形あるものは全て空(くう)で出来ている
空で全てが満たされているということを強調している。

肉体も空に異ならんが心も空に異ならん。しかもそれはA=B、B=C、A=C。
心も空、思いも空、行も空と、識も空、理屈も空(くう)。

目に見えぬ 手に取れぬ、いつ何処で生まれたか、食えもせん どうにもならん、そういう空なる物が、ある条件によって人間に、その素はこれです。

「因縁」一つの目に見えないような識が、一つの目に見えない細胞に乗っかって、こういうものを全部、識の中にはめ込む。
これが乗っかってくる。
だから さっき言った、初めて見たのに嫌いな顔だなというのは
この識の中に入っている。
この識が輪廻をする。

また生まれ変わってきた時には 過去の経験の受想行をしたものと識の中にパチンと全部おさめて、その識だけは焼き場で焼けないでウロウロしている。

そして すきあらば この世に出てきて仏陀になる修行をしたいと考えている。
肉体を持ったら仏陀よりも金儲けの方がいい。
肉体を離れると金儲けより仏陀になりたいと
一生懸命考えている。

だから すきあらばと言うか お父さんの体の中から お母さんにと言った時でも受験地獄どころの騒ぎではない。
何億 何十億の、その識が、我こそは我こそは、私こそが この度 早く人間になって この世に生まれてきて修行して仏陀になりたいと純粋に思っている。
だから激戦、でも その中のたった一つか二つ、今は三つ四つ。器用なお母さんも おられるけれども、その激戦をやり抜いて生きている。

でもオギャーと生まれたら途端に
「やった、出てきたぞ、うまい物食べよ、いいもの着よ」と言ってコロッと初心を何処かに置き忘れて、というのは 何処かにしまい込んで、見えない所に入っているから
つい粗末にしているが…

[匿名さん]

#9772017/12/11 21:22
>>976
ありがとうございます
現世に生まれてくる理のある深い部分の話だと痛感します

[匿名さん]

#9782017/12/11 21:30
理解不能?

[匿名さん]

#9792017/12/11 21:41
日蓮宗は何故揉めるでしょうか?
お釈迦様の教えを伝える立場
人類、思想の違い有ります
そんなに解釈が出来るので有れば
日蓮宗から分かれた
日蓮系を統一するが筋道じゃあないですか?
自分達が思想の違いで分かれ
日蓮系の宗派がいます
いくら仏法を言っても説得力が有りません
お釈迦様の教え背いて要るのでは?

[匿名さん]

#9802017/12/11 22:25
>>979 確かなる日蓮教学が完成していないところから、日蓮系教団の分立が起きているのだと、痛感しています…。 確かに貴方の言われる通りですね! 日蓮系教団の確かなる教学の決定が必須であると、感じましたので、私は日々 妙法の研鑽をしていま。す…。 南無妙法蓮華経 合掌

[大岡越前]

#9812017/12/11 22:41
>>975 法華経は諸経の大王であります…。 素直に理解し、素直に教えのままに信じ、修行をすれば、誰よりもいち速く、成仏できる教えである…と、法華経の中で、お釈迦様は言われているのですが…。 これが、なかなか簡単な事ではないようで…。 何故なら、私達は過去世に法華経とのご縁が無いらしく、例え今、目前に法華経の文字があって、読む事ができても、素直にその文字通りの教えを素直に理解し、信じることができないらしいのです…。 ですから、先ずは法華経に触れてみて、誹謗を成して、来世は阿鼻地獄に墜ちてみると、これまたお釈迦様の法華経の教えがなんたるかが、ハッキリと理解できるようになり、素直に信じることができるそうです…。 南無妙法蓮華経 合掌

[大岡越前]

#9822017/12/11 22:48
ですから、一度法華経を笑い、また、誹謗・中傷を成してみては如何でしょう…? 今、私が素直に理解し、素直に信じているのは、上の教えからすれば、私は既に過去世で阿鼻地獄に墜ちて、お釈迦様の法華経の教えの偉大さ!! 有り難さ!! 素晴らしさ!! 久遠実成釈尊の存在感を感じれる心に成れたのも、全て法華経とのご縁が完成した証拠であるのだと、痛感しています…。 有難うございます…久遠釈尊!! 有難うございます…妙法蓮華經 南無妙法蓮華経

[大岡越前]

#9832017/12/11 22:51
高橋は完全にイッテしまった😵💧

[匿名さん]

#9842017/12/11 22:58
>>980
近代に置いて確かて言われても?
鎌倉時代中期位から日蓮宗の
思想違い出てしまい
日蓮正宗系、宗派、流派
出て要るいます
説法、仏法とか力説に言われても
お題目唱えて逃げても解決は
出来ません!

[匿名さん]

#9852017/12/11 23:03
>>984

高橋 自演するな!!

[匿名さん]

#9862017/12/11 23:06
理解不能?

[匿名さん]

#9872017/12/12 06:38
大岡越前クン江



妙法蓮華經=「經」



頭痛いわ〜 笑

[匿名さん]

#9882017/12/12 09:36
>>984 素直に信じることができないのは、やはり過去世界から法華経とのご縁が無いのでしょうかね…? 日蓮聖人の「開目抄と観心本尊抄」をおよみになって見てください…。 誰かの現代訳ではなくて、貴方自信が日蓮聖人から頂いた「開目・観心本尊抄」と思い、素直に読書してみては如何でしょう…? きっと 今の日蓮系教団や新興宗教団体、日蓮正宗、顕正会、創価学会等の間違いに気づくでしょう…。 ぜひ一度、本当の日蓮聖人の教学に出会ってみてはどうでしょう…? 大岡越前こと 高橋幸弘 南無妙法蓮華經 合掌

[大岡越前]

#9892017/12/12 09:52
↑南無妙法蓮華狂だなw

[匿名さん]

#9902017/12/12 09:55
しかし、日蓮聖人の開目・観心本尊両抄をお読みになられるなら、注意点があります…。 日蓮正宗や学会、顕正会などの御遺文(御書とも言う)は避けるべきです!! これらの団体の御遺文には、後の造語や偽作が多々あり、後世の人の手に依って書き替えられています…。 「昭和定本 日蓮聖人御遺文」をお勧め致します…。 偽作や造語は無いものと考えます… 是非とも 一度拝見し、日蓮聖人の魂に触れてみてくださいませ。 必ずや貴方のこれからの人生観、並びに来世にも大変幸せな功徳があるものと思いますよ。 因みに私が拝読してきました御遺文は、平楽寺出版 昭和新修 日蓮聖人御遺文全集です…。浅井要麟先生の著書です…。では、よろしくお願いします… 大岡越前 南無妙法蓮華經 合掌

[大岡越前]

#9912017/12/12 10:30
>>990
バカなことを書いていないで治療に専念しなさい

[匿名さん]

#9922017/12/12 10:32
>>990
人の書いた物を有り難がっているようではまだまだ
自分で道を開け!

[高橋幸広]

#9932017/12/12 11:19
人の本に頼らず
道を開くのも大切です
違う宗派の差別言ってる事態
間違っています
お釈迦様がそんな教えはしてない
はずですよ!

[匿名さん]

#9942017/12/12 11:36
般若心経の解説も残りわずかになりました。

スレも終わりますので
今までの十大弟子様(多分、舎利佛尊者か目蓮尊者)の説法は全部 別スレでまとめたいと思います。

ダイバダッタは
乳製品やチーズなんかは食べてはいけない、戒律が甘いと
お釈迦様に進言し、お釈迦様は何もそこまで拘る事は無いと却下しました。
後にダイバダッタは教えに拘るあまり(自分の教えが一番すぐれている)お釈迦様を殺そうとしますがが
高橋さんを見てると同じように感じます。

十大弟子様の説法がまともに聞けない、聞く耳を持たない。
昔は十大弟子ですが今は如来の悟りをひらいておられる。

如来の説法が聞けないどころか誹謗する。

執着とは、げに恐ろしいものと感じます。

[匿名さん]

#9952017/12/12 12:31
>>994
ご指摘のとおりです
これは正しい物だと感じた時点で、その物にのめり込み、世の中の人々のためにもなると勝手な解釈で妄想を拡大し他人に成り済まし、嘘偽りも自分の妄想を完遂するための手段のひとつとして罪悪感をも省みず他人に有無を言わさず無理強いする
昭和の終わり頃から平成初頭に社会を恐怖に陥れた極左暴力集団のように正しいと思ったら手段を選ばす冷酷に想いを遂行する
ついつい極左暴力集団の行動が高橋とリンクしてしまいます

[匿名さん]

#9962017/12/12 13:29
高橋の独りよがりに付き合わされた読者が振り回されているだけ

[匿名さん]

#9972017/12/12 13:31
>>994

もっと聞かせていただきたいので続きは別スレを立てられるようお願いいたしたいです

[匿名さん]

#9982017/12/12 13:33
>>993
同感です

[匿名さん]

#9992017/12/12 13:33
さあラストです

[匿名さん]

#10002017/12/12 13:59最終レス
日蓮聖人御遺文を読まないなら、 法華経を読めば理解できることでしょうね! 信じるか?信じないかは? 貴方次第です…。 南無妙法蓮華經 合掌 本未有善の衆生さんへ!!

[ 大岡越前]

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