381
2018/04/25 08:19
爆サイ.com 北海道版

神道・仏教





NO.5982554

十大弟子様の説法
お釈迦様の元、十大弟子様の仏教の核心、真髄部分、般若心経の説法です。

高橋さんは書き込みしないで下さい。

報告閲覧数207レス数381

#3322018/02/04 10:15
>>331
御学兄、それはかなり深いところで考えておられる。仏教の基となる宇宙の摂理または法則。人間の魂だけにとらわれない、それこそが万物の魂の根本なるバランスなるものです。

[山坊主]

#3332018/02/04 11:47
>>330、331、332様へ。 「仏教」 と何故いうのでしょう? 「仏教」、「仏法」と言われる由縁は、ご存知でしょうかね? 簡単に言えば・…「仏の教え」とか「仏の法(みのり)」といいますよね!? 誰もが知る言葉、誰もが知る文字ですし、書店やネット上でも表現されている文言です…。 しかし、私はこの文言を見る時、いつもこう感じています。 「仏教、仏法」とは・… 法華経常不經菩薩品には、釈尊が前世に於いて妙法蓮華經の教えを覚り(本因妙)、妙果を覚って(本果妙)この全世界で初めに佛と成れました。(久遠実成釈尊の誕生) この事柄を考えますと、大日如来はこの全世界の中心的仏ではありません…。何故なら、大日如来は法身仏です。法身はご存知の通りこの全世界を成り立たせる真理、真如を身体と考えた密教の教相からきたものです…。法身仏は修行をして、仏の位にまで登り積めることは絶対にありません。初めから仏なのです!初めから仏である大日如来は修行をしませんから、十界の内の九界の衆生の悲しみや苦しみを理解できません!。ですから、法身大日如来はこれらの九界の衆生を救いきることなどは出来ないとなります…。 もっと言いますと、九界の衆生の苦しみ、悲しみを知らなければ、どうやって救うのか!? 衆生の苦しみ、悲しみを自らが知り、その「苦」を人々と共に悲しみ、慈しむ心を持って得た覚ったからこそ、仏と成りうるのであると思います。 仏は衆生を救いきることが大慈悲心からの願いでありますが、法身大日如来は衆生である九界の苦しみ、悲しみを知らずに、救う為の手段を知るべきはずの修行(経験、体験)を長い長い間遥か彼方からしてきませんでした…。 当然であると思います…。 ですから、法身大日如来では一切衆生を救えないと結論付けれると考えます…。 1P完

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3342018/02/04 11:58
過去七仏も知らないとは高橋は仏教初心者より
まだ以前の問題である。

[匿名さん]

#3352018/02/04 12:24
日蓮聖人は云われます…。 「大日經一巻の五仏は、中央は大日如来と説いている・…。 又は、中央は釈迦牟尼仏と説いている・…。 五巻の五仏の中央はビ盧遮那と説いている・…。」 金剛頂經に曰く 「婆伽梵釈迦牟尼如来、一切平等に善く通達するが故に、一切方を平等に観察して、四方に座したまふ。不動如来、寶生如来、観自在王如来、不空成就如来。」 大日經普通真言藏品第四に曰く… 「時に釈迦牟尼世尊寶處三昧に入りて、自心及び眷屬の真言を説き給ふ…。」 大日經第二に曰く… 「我昔道場に座して四魔を降伏し、大勤勇の聲を以て衆生の怖畏を除く。是の時梵天等心喜共に稱説す。此に由りて諸の世間號して大勤勇と名く。我本不生を覚る。」 これ等を見て下さい!! 我等本師釈迦牟尼如来は本佛にあらずや!? まだまだ 有ります…。 密教に執着するなかれ!! 執着するなかれ!! 南無妙法蓮華經 合掌

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3362018/02/04 12:41
大日如来は仏さまの世界でも、実はとってーーも偉い仏さまなんです。

サッカーやテニスのプロの選手のなかでも世界ランキング◯位みたいなことがありますが、
もし仏世界ランキングがあったなら大日如来さんは堂々の第1位!

大日如来は宇宙そのものであり、また阿弥陀如来や薬師如来や釈迦如来を始めとする他の仏様もすべて、大日如来が変身した姿です。
大日如来がいなければ、ほかの仏様も存在できません。

そして仏様だけでなく、すべての生き物も大日如来から生まれたとされています。

簡単に言うと、「この仏様がいなかったらアナタは生まれてなかったよ!」
という、とてもとても偉い仏様なのです。

大日如来の「大日」は、「偉大な太陽」という意味です。大日如来は智恵の光を放ち、その光は太陽と違って夜でも暗くならず、いつもこの世のすべてを照らしています。

「普通の太陽」よりもはるかに上の「すごい太陽」ということで、「大日=偉大な太陽」と呼ばれているんですね。

ちなみに奈良の大仏(毘盧舎那如来—びるしゃな・にょらい)も太陽をつかさどる仏様ですが、そのパワーアップした姿が大日如来と言われています。

大日如来は「宇宙の中心」「最高の仏」ですから、ほかの如来グループとは見た目でも色々違う点があります。

如来グループの仏様は悟りをひらいているので、物欲がなく、服1枚のみの簡素なお姿ですが、大日如来だけは特別です。

キラキラした冠や宝石を身につけています。
これは贅沢をしている訳ではなく、レベルが低い私たちの世界に下りてきてまで人々を導こうとしていることを表しています。

また大日如来の像には立っているお姿のものは、ほとんどありません。基本的に座っているお姿のみです。
これもまた、
「宇宙の中心にいる不動の絶対的存在」
であることを表しています。

[匿名さん]

#3372018/02/04 13:03
仏様の数は13000とも言われており沢山おられます。

仏説仏名経には12巻の物と30巻の物と二種類あります。30巻は12巻を土台として、所々にお経が付け加えられた物です。
現在ではこの仏説仏名経に代わり

●過去荘厳劫千仏名経 かこしょうごんこうせんぶつみょうきょう
●現在賢劫千仏名経 げんざいけんごうせんぶつみょうきょう
●未来星宿劫千仏名経 みらいせいしゅくこうせんぶつみょうきょう

の三種類を用い三劫三千仏名経として、
過去・現在・未来の合計3,000の仏様をお参りするのが標準的になっています。
 
三劫三千仏名経は、麗版、宋版、元版 明版などがあり、版によって構成が異なります。
現在日本で使われているのは明版が主流です。

仏名会は年末行事ですが、3,000の仏様を礼拝することは年末以外にも行われます。

天台宗では加行のメニューに含められています。また籠山行をする者は

、仏様が現れるなど好相を感じ取るまで、
(ここポイントです)

限りなく三千仏の礼拝を繰り返す好相行を行います(五体投地、ここポイントです)

沢山の仏様の名前を唱えて、いろいろな罪を消すタイプのお経は他にも伝えられいて10数種類あります。
特徴的なモノを挙げると、
●十方千五百仏名経
じっぽうせんごひゃくぶつみょうきょう

●五千五百仏名神呪除障滅罪経など。

[匿名さん]

#3382018/02/04 13:16
仏説観普賢菩薩行法經に曰く… 「亦常に過去の七佛を見たてまつらんに、唯釈迦牟尼佛のみ其れが為に法を説きたまはん。 是の諸の世尊、各各に大乗経典を稱讃したまはん。」 インド誕生の釈尊を始め、過去の七佛も久遠実成釈尊の応身仏です…。 即ち、化身ですね! 応身仏はありとあらゆる所に誕生され、久遠実成釈尊の法華経を説き続けられます…。 大日如来を別名、ビ盧遮那仏といいます…! 観普賢菩薩行法經には 「釈迦牟尼佛をビ盧遮那遍一切處と名づけたてまつる。その佛の住處を常寂光と名く。」 とありますから、法身大日如来は久遠実成釈尊の化身!! 即ち、変化身であるのです…。 これを知らないなら あなた方は仏教、仏法を広めてはいけません…!!

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3392018/02/04 16:16
釈迦如来は応身仏です。

これは仏教を学ぶ上で初歩のまた初歩です。

数学で言えば
1+1=2のレベルになります。

[匿名さん]

#3402018/02/04 17:09
>>339 その通りです! 過去の七佛も応身仏です! 釈尊は法華経では、三身具足の釈迦牟尼如来として実佛を明かされました。 三身でありながら一身。 一身でありながら三身の相を持ち合わされています。 これを具足といいます。 さて? 三身の内のどの佛が中心佛であるのでしょうか…! 三身とは 法身佛 報身佛 応身佛です…。 報身佛が中心佛となり 「報中論三」の思想です…。 天台大師や日蓮聖人も 報中論三の思想を語っておられます。 即ち、法華経の真髄は妙法を学び修行をし(本因妙)、その後に佛果を得て(本果妙) 成佛する(妙覺果満) これを(久遠)実成といいますから、 この教えが仏法中に於いて完璧な教相であるのです…。これらを円満教、 又は円經と言ってきましたよね! 密教はこの法華経の一部分である法身仏の思想を少し説かれたいが為に、法身大日如来と化身されて、全世界の中心は大日如来だけが仏界の中心仏としたのです…。 ですから、先の私 日幸の>>335>>338の書き込みの大日經や金剛經の通り、大日如来は久遠実成釈尊の化身であり、久遠実成釈尊がまだ密教経典では説き明かす時期未熟なる理由から、隠して大日如来を世界の中心仏としているのです…。

[釈子 日幸]

#3412018/02/04 19:14
>>340

大日如来が釈迦の化身とかと言う話を仏教初心者以上が聞いたら

ゴキブリが悟りをひらいた仏です
ゴキブリを奉りましょう

と同じレベルぐらい間違ってますが

さて 高橋君 話にならないので さようなら

[匿名さん]

#3422018/02/04 19:23
>>341 この法身大日如来は釈迦牟尼如来が化身として相を変えた仏である事をよくお知りになり、反論してみてください…。 反論されるならば、確かなる経典をお示しになられた上で、異論を唱えてください…。 では よろしくお願いいたします…。 釈子 日幸

[釈子 日幸]

#3432018/02/04 19:41
>>337 この書き込みには 頭が下がる思いです…。 方便の経典をよくご存知ですね? 貴方がこの書き込みに書かれている多くの仏様達は、総てが久遠実成釈尊の応身仏です…! 釈迦牟尼佛の十方分身諸分は3000仏や10000仏の数ではありませんよ。 私達末法の凡夫では理解できないぐらいの世界があり、またその国土の仏様達の数を知ることなどはできません…。 例えこの書き込みにある経典類の教えがあろうとも、所詮は方便です! 五体頭地で諸仏に逢えるという教えはまた 当然方便です! 貴方は法華経から遠退いています。 法華経を無視して、仏法を知ることなどは不可能! 仏法を極めるには、法華経の心ヲ知るべきでしょう…。

[釈子 日幸]

#3442018/02/04 20:54
法華経の相妙にある久遠実成釈尊は、一身即三身・三身即一身である実佛であります…。 三身とは 法身・報身・応身と先に書き込みしました。 であれば、法身・報身・応身の佛の名前はなんと言われるのでしょう…。 日蓮聖人は確かなる御遺文に明確に示されています。即ち、法身佛とは多宝如来であり、報身佛とは釈迦牟尼佛であり、応身佛を十方分身諸佛(インド応誕の釈尊も含む)であると云われています。 この三佛が横にも並ばず、縦にも列ならず、縦横自在に円を描きながら変幻し現れるのです…。 この相妙を久遠実成釈尊と言われるのです…。 天台大師も法華文句にて認められていました。 古来から法華経を円經! 円満經と言われる所以はこの意味でしょうか…! 南無妙法蓮華經 合掌

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3452018/02/05 07:58
>>332

山坊主さん、おはようございます。

ありがとうございます(^^)
もしかしたら仏教徒は経典を残しすぎたのかも知れません。

肝心なのは十大弟子様が言われるように

真実如来の教化なり

この真実が肝心要と思います。

住職は信を文字に頼っても人に頼ってもいけない
ただ如来の言う事だけを頼りなさい

と言われてましたが
なんと文字に頼る人が多い事か。

[弟子]

#3462018/02/05 12:52
末法時代は無仏の時代です…。 無仏とは応身 釈迦牟尼世尊はもうこの世におられない事を指します。 小乗・權大乗教で多くの仏を説かれた応身 釈尊は、実大乗教に到って真実を説かれました。 小乗・權大乗で証されなかった自らの本当の相妙を、説き示されたのです・…。 それは三身具即の久遠実成であると断言され、今まで説き続けてきた小乗・權大乗の教えを捨てよ!! と強調され、実大乗たる法華経だけが真実であり、悟りをそのまま証した教え(随自意)であり、仏法とは一佛乗だけしかない と決定されたのです…。 しかし、末法時代には久遠実成の釈尊といえども一切衆生を教化するにはお姿を隠さなくてはならないという理由により、自ら入滅される代わりに久遠実成釈尊の悟りそのものを、ありのままお残しになられたのです…。 それが 「妙法蓮華經の五字」であるのです…。 法華経ではなく妙法の五字であるのです…。 文字に依りて一切衆生を導こうとされた久遠実成釈尊の大慈悲心からくる思いであるのです…! 間違うなかれ! 久遠実成釈尊は文字で救われるのです!!

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3472018/02/05 21:00
>>345
御学兄、こんばんは

「経典を残しすぎたのかもしれない」
そのとおりです。経典とは仏陀の説いた事が書いてあるのではなく、後年の弟子の思いが反映されているようです。

「文字に頼る人が多い」
口伝て伝えるのは一対一の場合に至極有効な方法です。しかしながら人的、物質的限界があります。
出来事を文字で残せば万人を説得する手法としては一番手っ取り早い方法です。
それに人対人で相伝しなくても未来に残す事が可能です。
白紙の頭(状態)で読んだ者は、疑うことよりも信憑性が高いと思い込み、ついつい信用してしまうという危険性があります。
仏陀は自身の縁が生じた者には口伝のみで説いていたと推察します。

[山坊主]

#3482018/02/05 21:23
釈尊の遺言經である大般涅槃經に曰く… 「法に依りて 人に依らざれ・… 了義經に依りて 不了義經に依らざれ。」 日蓮聖人曰く… 「人に依らず等とは、初依・二依・三依・四依、普賢・文殊等の等覚の菩薩 法門を説きたまふとも、經を手に握らざらんをば用ゆべからず。 了義經に依て、不了義經に依らざれと定めて、經の中にも了義不了義を糾明して、信受すべきにこそ候ひぬれ。 龍樹菩薩の十住ビ婆沙論に曰く… 「修多羅黒論に依らずして、修多羅白論に依れ。」 天台大師曰く… 「修多羅と合ふ者は録して之を用ひよ。文なく義なきは信受すべからず。」 伝教大師曰く… 「佛説に依憑して、口傳を信ずること莫れ。」 円珍智證大師曰く… 「文に依って傳ふべし。」 見られよ! 文字である経典に依らずして 如来である釈迦牟尼佛の法門 受け難し…! 経典を如来とし、教えを乞う! 久遠実成釈尊は文字で、一切衆生を教化されるのです!! 勘違いしてはなりません…。 南無妙法蓮華經 合掌

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3492018/02/05 22:54
>>347

山坊主さん こんばんは。
結局 仏教とは

人の幸せを願い行動する人になりなさい。

で終了。で良いですか?

[匿名さん]

#3502018/02/05 23:19
>>349
御学兄、お粗末ながら私は少し違った事を思っています。
人の幸福を願い行動するような人間とは仏陀だと心得ています。
魂を持ち得た愚かな衆生は、まず自身の愚かな魂の中身に気づきながら成人(成長)を目指して、己の身体を使って現世を生き抜く。
死すれば魂のみとなります。魂のみでは気づけない事を現世で身体を使って気づく。
仏教=仏陀の教え であると思い込んでしまうと、全ての人(魂)の幸福を願う事が衆生の目的になってしまうかもしれません。

[山坊主]

#3512018/02/06 07:55
>>350 山坊主様へ!! 「路を作る人あり・… その路に迷う人あり・… 作れる人の罪有りや否や…!」 「人 路に倒れる… 倒れた路に依りて 人 路を便りとす」 『世界中で一番険しい山が有りました。 その山の頂上を制覇した人物が一人だけいました。 その頂上を制覇した人物は、余りにもその山の頂上からの景色が素晴らしいことを知り、世界中の人々にこの山の頂きを自らが案内人となり、人々を導いて山の素晴らしさをアピールしたのです…。 それを知った人々は、我も我もとその頂上を目指します。 中には、人を押し退ける者… 老婆や不自由な身体を気遣いながら、共に頂上を目指す者… 時には、世界最高峰を上り詰めた人物の案内を無視し、更に難攻不落な道のりから頂上を目指そうとする者達まで出始める次第になったのです…。 一番険しいこの山を知り尽くした人物には、誰一人として自分と同じ道のりで、頂上を目指そうとする者がいないことを、嘆いているのです…。 誰もが簡単にいち速く登りつめて、素晴らしい景色を見せてやりたいという心からの思いであったのですが・…。』 なかなか、人は 極めた人の言葉を信用しないものです…。 南無妙法蓮華經 合掌

[釈子 日幸]

#3522018/02/06 11:18
小乗に執着する者は 大乗の菩薩を嘲笑う… 大乗を学ぶ者は 小乗の者を哀しむ…。 釈尊の出世の本懐は、 「一大事の因縁を以ての故に 世に出現す…。」 であります。 一大事とは・…一佛乗である法華経を説くことでありました…。 大善を破る小善は 破法の因縁なり!! 悪因果、悪法である!! 今はその時なり!! 今は末法!! 法華経だけが一切衆生を救いきる大法である…。 疑うことなかれ! 信を以て法華経に帰依せられたし…! 南無妙法蓮華經 合掌

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3532018/02/06 18:44
>>350

うーん やっぱり私は理想と言うか頭デッカチで
自分の足下を見てないようです(汗)

最近、寒いですが
以前、小学生の女の子が一年毎日、滝行をする願を立てて
一年やりきりました。

その時 二番弟子様が、これぐらいは普通ですみたいな法話をしたのを覚えています。

うーん 私はやりきる自信がない(^^;)

[弟子]

#3542018/02/06 19:40
>>353
御学兄、こんばんは。
いやいや滝行が出来るから偉いと思うのは早々ですよ。
私なら滝行をしたいとは思いますが、一度経験したら「成る程、こういう事か」と思える結果を重視します。
脳天を直に過激な方法で冷やしたり衝撃を与えるのは魂に要らぬものをも通し易くしてしまう事もあるので注意する必要があるように思えます。だから一度経験すれば良いかと。

自信がない。それでいいじゃないですか。
それをやり遂げてどうなんですかね?
自分には何事もやり遂げるという自信は付きますが、身体を鍛えるという事には変わりありません。身体を使うという意味合いが違っているように思えるのです。
身体を使って魂を成長させるとは思えないんですよあくまでも魂のを成長させるのは心の奥底にあるもの、それは意識ではなかろうかと。
我慢するのも限度を越えれば痩せ我慢になりますからね。
それよりも何事にも「何故?」という事を考える事の方に意味があるように思えますが。

[山坊主]

#3552018/02/06 21:34
>>354

山坊主さん こんばんは。
うーん(^^;)
仏教の修行、読経は正座がキツい 法要も長いのになると二時間 この間、僧侶は足が痛そうな素振りも見せない(私は一時間で足がしびれます)
仏陀は一日正座してもしびれない(それだけ修行している)

五体投地も百回以上だし

断食にしても、

それで書いちゃいますが仏陀が薦める一番修行が進む行は

仏様の前で全身全霊で叫ぶ(真言や南無阿弥陀仏) 自分の至らなさを仏様にぶつける
人が見たら頭がおかしいと思われるような行いですが 自分はどうもならんから仏様助けて下さい
何とかして下さい かな
うるさいから山奥とか御堂とかで無いと出来ませんが
この全身全霊をかけた修行を数年間やったら間違いなく
空(くう)を悟れるレベルまで行くと思う。
最悪でも自分の過去世ぐらいは分かるぐらいは。

それを知ってるのに、やらない私は やったとしても、やりきれない私は救いようがないと

だから やりきる人が羨ましい。
仏陀や十大弟子様が羨ましい
比べる事じたいおこがましいけど
十分の一ぐらいは近づきたい、しかし現実は百分の一もいかない。

悟れる修行はイメージ的には山籠りして
全身全霊かけて仏様にぶつかる
空海様がやったように

現在はやろうと思えばやれる環境はある
でも やりきれない自分が歯がゆいのです。

[匿名さん]

#3562018/02/06 23:18
>>355
「行」による悟り。
逆に言えば、空海だから出来たのでしょう。いや空海だから、その必要があったのでは。
悟りを求める事だけが衆生ですかな。行でなければ悟りに至る事は不可能でしょうか。
御学兄は先達と同じ行をする事が悟りに至ると法と思われますかな。
それは過去の御学兄が求めていた事では。
この現世において、何故に再びや仏門に入られたのか。それが答えかと。

「羨ましい」「自分が歯がゆい」
それは御学兄が、先達、その他の人の生きざまを意識するからでは。それを手本にしようとする意識からでは。
先達は衆生が己の生きざまと同じ事をするのを真から求めるだろうか。
先達の生きざまは先達のものです。先達の生きざまを通っても、それは如何かな。
行の法は己が見出だすこと。所謂ところ、行をするだけが行ではないかと。

この事が御学兄の邪魔と思われるなれば遠慮なくお忘れ下され。

[山坊主]

#3572018/02/07 07:38
弟子様、並びに 山坊主様へ!! あなた方はどの様な教えを学び、修行をし、何を悟られようとしているのでしょう!? 今は末法です。 小乗教の教えは今でも經として残っています。 しかし、その教え通りに修行できていますか? この忙しい現代社会の中で、あなた方が書き込みされている滝行や五体頭地なる時代遅れの修行など、できますか!? 今現在、かの天台宗でも大荒行として山々を登り降りしながら、仏のお姿を見ようとすることが行われています…。 また、何日も何日も 五体頭地を行い、仏にお逢いしたいとの思いから、床の上で大層な行為をしています…。 これ等の行為は本当に悟りを得られる為の修行となるのですかね!? 甚だ 疑問だらけではありませんか? 弟子様! よくお考えください…。 貴方はこの修行をしなくてはならないと言いつつも、できない…。 と、ご自分で語っていますよ!! ではなぜ? できないのでしょう? 私には解ります…。 今は末法だからです!! 貴方は末法時代に生まれ墜ちてきた下機下根の衆生だから、十大弟子様達と同じ教えでは、修行が進まないのです!! あの方々は、遠い遠い過去世から多くの諸仏を供養、賛嘆され、絶大な功徳を得られてきました。それが証拠に、釈尊にお逢いできているでしょう!! 間違ってますか!? 釈尊のお姿を見ておられますよね?! 一方、 私達はどうでしょう? 釈尊のお姿は見ていません! では何故ですか!? 功徳の違いに依り、生まれ墜ちてくる時代が違うからなのです。 ではなぜ時代が違うのでしょうか? 善業を積んでいないからです!! 解りますよね…。 ですから、仏教は時代観をよく知らなければ、時代遅れのカビだらけの修行をし、魂を苦しめるだけで、なんの成果も得られません! よくよくお考えになってください…。 釈子 日幸

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3582018/02/07 07:56
仏教は時代に依って 教えが違います…。 どれでも かれでも 悟りを得られるものではありません…。 釈尊の教法は 機根に応じて教えを説かれたのではないという事を 悟らなくては、身を苦しめ、魂に今以上の垢を植え付けるだけとなります…。 十大弟子様達は 私達とは違うと悟ってください…。

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3592018/02/07 10:02
>>357
おまえさあ何言ってんだ
匿名さん(弟子さん?)も山坊主さんも行が大事だとは書いていない
逆に匿名さんはできない、山坊主さんは行を否定している
高橋しっかり読め
そして他人に自分勝手な考え方を押し付けるようなバカなことばかり書くな!

[匿名さん]

#3602018/02/07 10:53
山坊主様は修行に依りて悟れるのではない。 また、修行そのものは 一衆生が自らの方法を見つけ、修行するならばそれで良しとする思想観は 釈尊は禁止されています…。 釈尊は悟りを得られたただお一人の世尊であります。 その世尊の言い付けを聞かないで、仏陀となれますか? 私はそれを危惧しているのです…。 謝った思想を根底から無くし、世尊の言い付け通り、仏説を如来と感じ、学び、修行をし、仏陀となってゆく…。 これが最も大切なのではありませんか…?。 如来がおられない末法には 世尊が遺された教法に頼るしかないのです…。 仏説は 不要ではありません!! 仏説こそが、如来となる…仏陀となる道しるべでありましょう…。 南無妙法蓮華經 合掌

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3612018/02/07 12:38
末法時代には 勿論 釈尊はおられません…。(法華経を心から信じる者の前では、釈尊は滅後と言えども、在世なり…。) また、十大弟子である阿羅漢達も、この末法時代にはおられません…。 文殊・普賢・弥勒・観世音・地蔵等の等覚の菩薩もいません…。 龍樹菩薩、行基菩薩もおられません…。 一切衆生を導き、如来の教法を説いて下さる方々は、揃っておられません…。 では、私達 末法の凡夫は 一体誰を頼りにすればいいのでしょうか? 大般涅槃經に曰く…『法に依りて、人に依らざれ…。了義經に依りて、不了義經に依らざれ…。』釈尊は私達 末法の凡夫を救いきる方法を遺して下さいました。救う方法が一番難しい、末法の下機下根の衆生である私達をどの様に救えば良いかを、常々考えて下さいます…。 法華経如来寿量品の末尾に曰く… 『常に自らこの念を為す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速やかに佛身を成就することを得せしめんと…。』 これが、釈尊の親心です…。 自分達だけの狭い解釈で仏法を理解し、それらを釈尊が体得された教法であると誤解して修行をし、悟り(証果)を得られないと嘆く下機下根の衆生の哀れさよ!! 当然だと思われます…。 成仏できるわけがないではありませんか!?仏陀になられた世尊の教法に依らずして、佛果を得られる筈はありません。 末法では仏説を無視する思想が蔓延る時代…それが末法!! であるのです。 『仏説に依憑して 口伝を信ずることなかれ…』 伝教大師が云われていましたね!? 必ず 仏説に依るべきでしょう!!

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3622018/02/07 14:21
こうして 私が何度でも 何度でも釈尊の親心を理解してもらいたいが為に 仏法をお話しさせて頂いているにも関わらず、弟子様や山坊主様は如来の仏説に逆らい、荘厳己義に執着して、仏法を乱す輩と成り果てて行かれるのでしょうか…。 自らを顧み、私 日幸の主張が正しいのか… それとも、あなた方が正しいのか…。 死する時には解りますが・…それでは遅いですので、・… 如来を崇めなさい!! 弟子様! 山坊主様!! そして、仏説を尊重しなさい!! 誤りたる己義を見直されよ…。 南無妙法蓮華經 合掌

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3632018/02/07 18:12
>>356

山坊主さん、こんばんは。
行以外に何か有りますか?

行をしないと気づきが無いから何も進歩しないと思いますが。

日常生活も皆それぞれ一生懸命やってますが
魂の気づきは皆無だと思います。

[弟子]

#3642018/02/07 18:58
>>363
御学兄、こんばんは。
ありますよ。御学兄は≫353≫355で自身の事について言及されておられるではありませんか。
「足下を見ていないようです」
「やろうと思えど何も出来ない自分がある」と自身の立ち位置を自覚しておいでです。それですよ。
それが己を知る、己に気づく事がです。
しかしただ気づくだけでは魂に響きませぬ。
常に自分を叩き、そのように己の愚かさを知り、愚かな己に気づく、自身の事をしっかと考えられる思考も、これまた「行」と言えます。

[山坊主]

#3652018/02/07 19:11
弟子様、山坊主様。 あなた方に対して如来の教法を説かれていても、何の興味もたない。 示さない…。 これが末法の下機下根の衆生なのです…。 未来世で後悔しても 私にはどうする事もできません…。 その前に阿鼻の相が現われても、私 日幸を恨むべからず…。 以上です…。 あなた達の幸せを願いまして… 南無妙法蓮華經 合掌 釈子 日幸

[釈子 日幸◆ZmY4M2Fk]

#3662018/02/08 02:16
>>364

なるほどm(__)m
ヒンドゥ教の聖者ラマナ、マハルシの「私は誰か ?」ですね。

私は自分の事を考えるとネガティブになって暗くなるので余り良いイメージは持っていませんでしたが、私は誰か? とポジティブに考えたいと思います。

[弟子]

#3672018/02/08 09:54
>>366
御学兄、笑えない大きな例えを示します。
ポジティブな意識は時として両刃の剣にも成り得ます。
先の大戦で日本が米英中蘭を相手に戦争をしたのは周知のとおりです。
そこ頃の日本国内での意識はどのようなものであったかは、ご存じかと。
南方侵攻は東南アジア諸国の解放だと大義名分にポジティブな意識ばかりで物事を考え、南方を占領したならば、現地で食料、燃料、鉱物質は十分に確保出来ると予測していましたが、それこそポジティブの思考。
もう少しネガティブな思考を持ち得て少しでも相手を研究し、その実力を理解していれば・・
相手の実力を過少評価し見下し「アメリカ恐れるに足らん」とふざけた思考に陥り、後半は押され気味になったら、軍部は大和魂で敵を殲滅するとか訳のわからん精神高揚を押し付けていました。

会社の仕事で製品の不具合が発生したら、先ずは原因究明し、そして不具合を改善します。
その時に「これで大丈夫だ。もう安心」となりますが、関心なのは、そこからです。
これで完全だと思うよりも、更に「もし」という事を念頭に置いて次に不具合が発生しそうな場合を予測しておく。プラス思考ばかりでなくマイナス思考で先を予測しておく事も自身を見つめる材料と成り得ましょうや。
それは人間が生きていく上で無数のケースがあることです。
ポジティブだけではなく、それと並行してネガティブに考える事も中庸(バランス)かと。
黒と白の中間の灰色の立場で黒と白(物事)を考える。自身が黒にも白にも成らず。
これが中庸。すなわち均衡の取れたバランスではなかろうかと。

[山坊主]

#3682018/02/08 19:16
>>367

なるほど、その通りだと思います。

しかし仏教の中道は難しいと言うか、よく分からないのです。

例えを私にすると(空想です)

二十歳から死ぬまで1日1時間、修行して死んだら畜生だった。

二十歳から死ぬまで1日3時間、修行して死んだら修羅だった。

二十歳から死ぬまで1日6時間、修行して死んだら人間だった。

二十歳から死ぬまで1日9時間、修行して死んだら天界だった。

二十歳から死ぬまで1日12時間、修行して死んだら六道輪廻を解脱していた(浄土に往生した、仏に成ったのではない)。

一般的には1日1時間も修行すれば普通です、仕事がありますから、
でも仏陀や十大弟子様に長年触れていますと
上記のような感じです。

何を持って中道と言うのか?

一寸座れば一寸の仏

12時間座れば半日は仏

じゃ無いですけど仏教の中道は誤解を生みやすいのではないかと思います。
煩悩が有れば堕ちる訳ですから。

[匿名さん]

#3692018/02/08 20:28
>>367

お前 落人 どん亀だな(笑)

[匿名さん]

#3702018/02/08 20:57
>>368
御学兄、そのおり。仏教の上から中道を求める事は難しくて当然です。何故ならば仏教とは仏陀の教えを基にして後世の人間が労苦を積み重ねて創りあげたものが仏の法なるもの。道理を形にしたもの。
それがため仏陀の滅後に幾度も各地の長老が一同に会し原点を求めたのではないでしょうか。
仏陀の説いた教え=仏教 と思っておられるならば仏教とは、己の煩悩を取り去るため、悟るに至るための法でしょう。
煩悩なるのもを、どうこうするというよりも、己の煩悩を深く考え、その原点となる基を知る事によりて真の己を知る術になるのでは。

少し話を変えます。
以前に目撃した事ですが、ある中年男性が若い頃に世話になった方に遭遇して、挨拶を交わしておられました。
その中年男性は丁寧に敬語で挨拶をされていましたが、両手をズボンのポケットに入れたままで挨拶をしていました。
これをどう思われます。これは物事の道理から考えれば仏教と相通じ合うところがあります。

[山坊主]

#3712018/02/09 07:52
>>370 煩悩を取り去る方法は、 釈尊の一代聖教50年中に於いて、法華経に至るまでの42年間では 煩悩を断絶させた後に悟りを開き 仏陀となる事がありとあらゆる経典で 数多く説法されてきました…。 唯織論を唱えられ、 人の奥底にまで見つめられ、煩悩とは何かを説かれています…。 人の心の仕組みを解き明かされてもいます…。 しかし、その煩悩なる人々の魂の進化を邪魔するものを どの様に退治すればいいのか? については、42年間では様々な解き方を示しておられます。 八正道や十二因縁、四諦の法門…。 菩薩道なら六般羅密ですかね。しかし、 これらの煩悩退治の方法を一言によって打ち消され、総て架空の教えであった(四十餘年 未顕真実。正直捨方便。)と断言され、たった今から真実だけを説き聞かせようと示されました(要当説真実) 煩悩を持ったままで、悟りを得、仏陀となれる… と、説かれたのです…。 これが法華経です これがこそが仏法究極の最高の教えである法華経であるのです…。 煩悩の正体を知らなくとも 煩悩を退治せずとも、煩悩と共に成仏できる教え…これが法華経であるのです…。 南無妙法蓮華經 合掌

[釈子 日幸]

#3722018/02/09 12:11
>>371

素人は語りなさんな。

[匿名さん]

#3732018/02/09 19:37
≫368
御学兄、宗旨が違えど法の根本を成すものは変わりありません。大日如来は宇宙そのものを表している。衆生の誤りを糺すための姿、これすなわち不動明王。
その両面を併せ持ち愚かな衆生を救い給う。
密教なるものは言葉で表すのは難しい。そのための曼陀羅。1300年もの前の、いにしえより伝えられています。
何も難しい法を学まずとも、それが全てでありましょうや。
私とて得度を経て入山し、戒律厳しき安居の日々を送りつつ、禅を糧に十数年経てども、法の根本を成すもの得られず、和尚の名目を頂戴しましたが故あって還俗。この世俗の中で今生の先達なる師匠に廻り合い、宇宙の基なるものを教えていただきました。その根本を更に求めているのが今日の私です。

[山坊主]

#3742018/02/09 20:47
>>373の山坊主様へ。 貴方は頑固なお人ですね!? 大日如来とは 久遠実成釈尊であると 大日經、金剛頂經にはっきりと文言ありましたよね!! それなのに まだ 大日如来が宇宙の中心であると考えていますね!! 例え、阿羅漢なる僧侶が存在し、その僧侶の弟子となって真実を知りたくて菩提心を興してみても、佛説に依らなければ何の果報がありましょうや!! 仏法を学ぶ上で一番大切な事は、佛説に依った教えを世に遺してゆけるか…と、言うことでしょう!…。 貴方は空海上人が大日經や金剛頂經等の仏法を、素直に世に遺しておられると思っているのでしょうか? 金・胎両部曼荼羅が 大日・金剛両經にある文言に依った教えであると 思っているみたいですが… それは貴方の邪見です…。僻目ですよ…。 そもそも、金・胎両部曼荼羅にある八葉九尊なる教相は、果たして大日・金剛両經に文言がありますか!? 大日如来が不動明王や不動如来等に化身するという教相などは、総て法華経の一念三千の法門を空海上人が盗み、大日・金剛両部曼荼羅に取り入れ、密教と偽り法華経と密教をごちゃ混ぜにして、日本国に流布してしまった事を知らないのですよ…。 知らなかったでしょ!? 調べてみては如何でしょう…。 大日・金剛両部曼荼羅と大日・金剛頂両經との相違! これを知れるは 大菩薩の証なり…。 空海上人は仏法の盗人!! 罪人です!! 今は阿鼻地獄におられると思います…。 残念ですが…。 南無妙法蓮華經 合掌

[釈子 日幸]

#3752018/02/09 23:19
>>374

素人は語りなさんな。

[匿名さん]

#3762018/02/09 23:48
そりゃそうだ
高橋は社会の常識にも素人だな

[匿名さん]

#3772018/02/11 22:17
私 日幸が素人なら、今現代の日本国の全僧侶の総ては、生まれたての赤子ではないでしょうか!? 仏法の最高の教えは法華経でありますが、日本国には法華が広まろうとも、法華経以外の密教や浄土、禪、小乗の阿含教が広まっていますから、その宗派の僧侶は法華経の僧侶以上に多いことでしょう…。 小乗・權大乗の僧侶は法華の僧侶に比べれば、方便教を修行しているので、法華の僧侶以下の位であり、仏も權仏! 權法でありますから、修行している様で修行ではない・… 教・行・証の三つぶのどれ一つとして果報無き僧侶であります。 僧侶としても、実經である法華経の僧侶でなければ、真の僧侶とは言えず、海に浮かぶ根なし草の様で、何処に辿り着くのかも分からない、あやふやな弟子なのです…。 それに引き換え、法華の僧侶は確かに法華経を元に教えを修行していますから、その教えなりの修行通りの果報を得ているはずです…。 しかし、法華の僧侶と權仏・權法を修行する僧侶とが仲間意識で共に釈尊の仏法を広める事を目的とすれば、日本国は悪法の棲みかとなり、国は衰え、国民は障害が広まり、軈ては日本国の滅亡と成りうる事は明白でありましょう…。 現代の日蓮全宗門の僧侶は、確かに久遠釈尊の法華経を朝夕唱え、国民の幸せを願ってはいますが、果たして本当に久遠実成釈尊の法華経の教えなのでしょうか…? 久遠本佛の本法を所持した僧侶なのでしょうか!! こう考えて見ますれば、この日本国に於いて、久遠実成釈尊の法華経の本法を所持した僧侶の存在は何処にあるのでしょう…。 今現在、もしも久遠釈尊の本法所持の僧侶がおられるならば、直ぐにでも馳せ参じて、教えを請いたいと願う次第であります…。

[釈子 日幸]

#3782018/02/11 22:52
>>377

お前さーええ加減にせんと知らんぞー
身体八つ裂きを永劫にされるよ いやいやマジで

[匿名さん]

#3792018/02/12 10:11
>>377

ド素人は語りなさんなや

害毒を撒き散らす

[匿名さん]

#3802018/02/12 10:33
>>377
お前は善人を装いながら悪意に満ちた人間のようだ

[匿名さん]

#3812018/04/25 08:19最新レス
お久しぶりです。 釋子 日幸です。  もうこのレスも寂しい感じになりましたね。 スレ主様も書き込みされていないみたいですし…。    南無妙法蓮華經  合掌

[匿名さん]


『十大弟子様の説法』 へのレス投稿
レス本文 必須 750文字まで:残り750文字

スタンプ

NEW!
任意入力フォーム

お名前 任意 16文字まで
E-mail 任意

※削除パス機能は廃止しました。
会員は、投稿から24時間以内であれば削除パスなしで
削除できます。
詳しくは「削除パス廃止のお知らせ 」をご覧ください。
今すぐ会員になる

📘 ローカルルール
スレッドタイトルは、タイトルを読んで中身がわかるように心がけて下さい。
スレッドは立てる前に、重複していないか確認してから立てて下さい。重複スレッドは削除対象となります。
重複スレッドを発見した場合は、スレッド下部にある「重複スレの報告」フォームよりご連絡下さい。
誹謗中傷による書き込みは利用規約違反になりますのでお止め下さい。
投稿前の注意
  • 掲示板あらし行為URLの記載は 一回で書込み禁止措置と致します。




HOT!オススメ! ⇒ 宗教総合/ 創価学会/ キリスト教/ 幸福の科学/

🌐このスレッドのURL