88
2017/10/26 17:44
爆サイ.com 南部九州版

熊本高校野球





NO.4841176

印象に残った選手
第68回選手権。この時の熊工メンバーは熊本球史でも屈指の投攻守レベルの高いチームだった。甲子園では上位に勝ち進めなかったが熊本の代表が後にも先にも神奈川の代表に勝利したのを見た事はない、それも初戦で
報告閲覧数259レス数88

#392017/10/04 01:50
八代工業が昭和48年辺りから急激に強くなってきた頃から八代一(現・秀岳館)は逆に急激に弱くなってたよな。一時は八代農や氷川より弱かった。
だが一高も下手投げの吉村(s57夏ベスト4)辺りから又、光明が差してきた。

[匿名さん]

#402017/10/04 02:00
遠山の昭さん[八代第一高]

[匿名さん]

#412017/10/04 02:07
↑いちいち書かんちゃ遠山くらいだっでん知っとっぞ!

[匿名さん]

#422017/10/04 12:51
>>39
頭も相当悪かったしな。

[匿名さん]

#432017/10/04 15:04
>>42
ポン園大に進学したのか?

[匿名さん]

#442017/10/04 16:26
>>43
学園大にはいかんでしょう
六大学からの勧誘はあったらしいよ

[匿名さん]

#452017/10/04 19:53
過去のこといつまでも言わない!

[匿名さん]

#462017/10/08 05:44
秀岳館 川口。
挨拶が出来ない選手。

[匿名さん]

#472017/10/08 10:08
熊工の河村。マウンド上でメジャー選手並みの唾ペッペ。

[匿名さん]

#482017/10/08 11:04
>>46
昨日のは酷かった
スポーツマンじゃない

[匿名さん]

#492017/10/08 13:55
夏は八代の緒方、正代のバッテリーが印象深い!
特に正代は攻撃面でもチャンスメイク&ポイントゲッターとして大車輪の活躍!
正に八代の攻守の要!

[匿名さん]

#50
投稿者により削除されました

#512017/10/08 18:23
きもいわ。高校生に粘着して。
ライバル選手の親?

[匿名さん]

#522017/10/08 18:33
九州学院 茶釜
継投で試合を組み立てれない
スーパー監督

[匿名さん]

#532017/10/08 21:00
>>46
川口はサードだろ?
最後のタッチアップのランナーのスタートが早かったのを目前で見ていて納得できなかったんじゃね?

[匿名さん]

#542017/10/09 06:49
>>53
納得できなかったら、挨拶しなくていいのか?
ボールをグランドに叩きつけていいのか?

秀岳館の野球を見に行ってる小中学生はどう見えたと思うか?
彼は高校生なんだよ。

答えを教えろ。

[匿名さん]

#552017/10/09 08:14
しつこい
いい大人が…
恥ずかしくないのか

[匿名さん]

#562017/10/09 08:31
本当にしつこいね
声も出ていて好感持てたけどね
頑張れ

[匿名さん]

#572017/10/09 12:01
大人だから言ってる。

声を出す。よかろう。

挨拶なし。

好感持てるか!

[匿名さん]

#582017/10/09 12:02
>>57
変態教諭の貴様はやってんのか?

[匿名さん]

#592017/10/09 12:04
美麗さんだと 大爆笑

[匿名さん]

#602017/10/09 12:05
>>57
お前はデブ専でも行ってろや

[匿名さん]

#612017/10/09 12:06
>>58
変態教諭?
意味不明?
貴様はやってんのか?
意味不明?

[匿名さん]

#622017/10/09 12:50
>>58>>60
建設的討論しようぜ。

低レベルなコメントはいらん。

[匿名さん]

#632017/10/09 13:54
>>62
若者に成り済ます下痢本狂諭。

[匿名さん]

#642017/10/09 14:53
>>63

はいはい、やめますよ。レベル低いから・・・

ここまでにします。ばいばーい!

[匿名さん]

#652017/10/11 13:19
ここは高校生の今の、未来のある選手を潰しにかかるスレですか?
読んでいると悪口ばかり。
大人が16.17の子供相手にどこまで言ってるんだろうって。
個人名を出してまで悪口文句をここで言い合うとか、
その方が小中生に対して示しがつかないと思いますよ大の大人が。
良いことを書くのは良いと思います。
悪口陰口文句を面と向かわずここでダラダラしつこく書いてる人は悪口陰口文句以下の人間なのでしょうね。

[匿名さん]

#66
この投稿は削除されました

#672017/10/13 10:14
73年八代東高校2年生エース潮谷投手 4番釘谷選手

[匿名さん]

#682017/10/13 10:23
>>67
東といえば、藤田達也投手。(1978)

[匿名さん]

#692017/10/13 11:07
梅村 政樹二塁手(熊本工)1989選手権

夏の県大会の打率は2割台だった背番号14の九番の小兵が、初戦で大活躍。初打席こそ
右ゴロだったが、5打数4安打、打点4。何と2盗塁まで決める嬉しい誤算に瀬高監督も笑いが
止まらない。又、チームは先発全員の1本塁打を含む19安打の13得点。身体能力の高さも充分伺わせた。

又、第2戦では吉田の好投手、井出に打線が7安打と湿りがちな中、その九番・梅村だけは貴重な1安打を放つ。因みに注目の前田はこの試合は無安打。

尚、この年のベンチ入り工業ナインは、2年生が確か?6人と多く、同時に初戦での圧勝に関係者や県民が躍起した。前年夏の日大系列高への御返し。そして、瀬高監督が現役時に果たせなかった甲子園大会での1勝。難題克服が多い事がその理由に考えられる中、背番号15のマネージャー要員、岩谷正吾選手は前田智徳主将とは、岱明中学時代の同級生。

「前田君を叱咤出来るのは僕だけです」との岩谷選手のメッセージを一塁側に陣取った熊本工側アナウンサーがレポート。晴天下でのワンサイドゲームとなる一方のアルプス・スタンドにおいて、これも又、実に感慨深い逸話だった。

[匿名さん]

#702017/10/13 11:37
>>69
横坂君の時かな?なぜ二回戦の吉田に負けたか知ってますか?相手は横坂君のサイドスローに対し全員小粒の右打者、エース井出投手だけのチーム、、実は瀬高監督が自分達の野球をしよう!と試合前の相手の研究は無しで手探り状態、。これでは勝てんですよね、、熊本に帰って来て監督は交代告げられました

[匿名さん]

#712017/10/13 11:58
山下 誠選手(熊本工)1977センバツ、同選手権

センバツでは4番を担っていた。しかし、夏は県大会の途中だったか、むしろ大会突入を前に肩か?手?の何れかの怪我の為、終始ベンチウォーマーに徹した。

ベンチからひたすら声援を送るそんな山下の最後の夏に、何とか一花咲かせてやりたかったのかどうか。八浪監督の当時の心境は把握出来ないところだが、4点を追う七回若しくは八回裏だったか。
無死走者無しで東邦・坂本から右翼フェンスをワン・バウンドで超す意地の二塁打を叩き込む。この試合で、僅か2安打という貧打の最中、ようやくその2本目を放ったのが、この山下だった。

尚、この日の準々決勝第2試合は、薄曇りという天候の中、熊工のいわゆる火の国打線と、古豪・高松商、黒沢尻工を相次ぎ撫で切ってきた東邦の1年生エース、バンビこと坂本佳一との注目のカードとして期待された。

ところが、試合開始早々、四回を終わって4点ビハインドとなった熊本工側からすれば、2日前ともなる福島商・三浦攻略での延長11回という長丁場もあってか、ナイン全体に疲労感が漂っているのが明らかだった。後半になれば(坂本投手にとっては)3試合目でもあるし、スタミナも落ちて打ち崩せると読んでいた古豪・熊工チームだけに、大矢捕手のサインどおりに投げる若干15歳のあどけない1年生投手の前に、まさしく、その名を成さしめてしまったとしか言いようもない。

[匿名さん]

#722017/10/13 12:35
>>70
初耳です。ですが、当時マスコミからは瀬高監督は、いわゆるパイプ的存在(要は短命在任期間は)と聞いたことがあったんですがねぇ...。

しかし、初戦は俳優・柴田恭平氏の母校でもある日大三島に大勝しましたが、肘痛で全く投げられない2年生の主戦が仮に登板していたら果たして楽勝していたかどうか。
又、野球に限っては大勝した次戦は、必ずと言っていいほど点が取れませんね。これはプロ野球で例えれば、日本シリーズ等でも同じ事が言えますが...。

余談ですが、大勝した一塁側を陣取った熊本工アルプスの中に、1958年センバツで優勝した済々黌・松野三塁手のお嬢さん(市立西宮高)が、熊本工のプラカード嬢、山本さんと共に観戦されておられましたね。

[匿名さん]

#732017/10/13 13:56
>>69
梅村の守備は上手かったね。甲子園でヒットコースをダブルプレーにしていた。

[匿名さん]

#742017/10/13 14:28
>>67
1973年(昭和48)夏の甲子園出場の八代東の四番は藤山で、釘谷は前年(1972年)ですね

[匿名さん]

#752017/10/13 14:33
>>74
バカだろお前

[匿名さん]

#762017/10/13 16:39
[#29の訂正]
佐藤投手の自責点は5が正解。
7とは浜松商・水島投手の自責点。
見誤りました。佐藤様、水島様、このたびは大変失礼致しました。

[匿名さん]

#772017/10/13 17:00
>>74
この当時のチ−ムは、オール八代郡市の中学出身者だった。
又、私的には丁度、不運にも学校の夏休み期間中の出校日と重なり、しかも8時開始の第一試合。
と、いう事で、殆ど観ずじまい。ただし、理科室に皆が集結しては少々盛り上がっていた記憶がある。
学校から急いで帰るや、既に第二試合(双葉×広島商)が始まる寸前。
何故、あの日こそ、ズル休みをしなかったのか。馬鹿正直だった自分自身にいまだ後悔が残る。
当時若干10歳の私であった。

[匿名さん]

#782017/10/13 17:03
なげー

[匿名さん]

#792017/10/13 23:53
>>77
江川、江川、江川

[匿名さん]

#802017/10/14 08:52
えー、ここで#77について、閲覧者の皆様の認識度を測るべく試してみました。やはり、1973年当時の球児の方はご覧いただいていないか、若しくは無関心。と、いったところでしょうか。

実は#77に関しましては、正解は以下のとおりです。尚、こういう場所でのこういった調査的なやり方は、当然芳しくありませんので、一旦これにて終了とさせて戴きます。
................................................................................
.................................


甲子園大会でのベンチ入り14名の登録選手のうち、八代郡市における当時の旧八代市中学出身者は計7名。同時に夏の県大会ではベンチ入りが15名の為、甲子園出場が決まると、第三中学の登録選手1名だけが、やむなく削減という苦しい内情もあった。
その内訳だが・・・第一(1名)、第二(2名)、第三(1名)、第四(1名)、第五(1名)、日奈久(1名)。更に、八代郡中学出身者は計5名で、その内訳は・・・鏡(3名)、千丁(1名)、氷川(1名)だった。

他は何れも管轄外となり、葦北郡と天草郡の中学出身者がそれぞれ1名ずつの計2名。これでトータル14名となる。

尚、肝心な球児らの出身中学に関しましては、個人情報の兼ね合いもあり、控えさせて戴きました。ご了承おき願います。

[匿名さん]

#812017/10/14 09:00
【同姓同名】

'81選手権 (鎮西) 渡辺 竜二左翼手

'87選手権 (九州学院) 渡辺 竜二右翼手

[匿名さん]

#822017/10/14 10:04
【博士と武士】

井手 博士二塁手(県立第二)1977

おなじみ物真似タレントであり、元たけし軍団のらっきょ氏。師匠であるビートたけしこと北野武氏が、
本名である『博士(ひろし)』とは裏腹に、「井手はかせ」と故意に呼んでいた事があった。

尚、高校時最後となる'77年夏の第59回熊本大会では、九番で二塁手。準々決勝で同大会の覇者、工業に八回コールドで敗れるも、結局計4試合において11打数無安打。打点なしと全くいいところがなかった。


大川 武士二塁手(県立済済黌)1979選手権

熊本県民の予想かつ期待どおり、21年振りに甲子園に返り咲いた古豪。晴れの甲子園大会では初回裏、大川選手自身が一死満塁から初打点となる押し出し四球を選ぶ。

尚、この試合で、初めてディフェンスについた初回裏の東北チームは、そもそも主戦・中条が投ゴロをグラブで片手捕りする等、試合を前にしての竹田監督の個別対談を見るにつけても、「進学校ゆえに非力」だとか...。
全くもって私立特有とでも言うべき発言も目立ち、完全に相手を嘗(な)めきっているとしか思えない。

ところで、当時の熊日・大川二塁手による『甲子園日記』より抜粋・・・

「試合終了後、(我が)済済黌チームをなめ切っていた東北をやっつけて最高の気分だった」。

初回裏、中条のハンブルから始まった済済黌打線は何と無安打で(要は労せずして)7点を奪取。そして四回には、まさにとどめとも言うべき、エース坂口の満塁本塁打も飛び出した。実にこれは当時としては大変珍しかった1イニングで2桁となる10得点で試合を決定的なものとした。

[匿名さん]

#832017/10/14 11:13
なんでん詳しいね。国民栄誉賞スポーツ大賞

[匿名さん]

#842017/10/19 12:47
【球児の姓の似た者同士】

(その1)'96年選手権 決勝

少々、単純で恐縮だが・・・

星子三塁手(熊本工)

星加三塁手(松山商)※因みに名は逸人


(その2)'93年選手権 2回戦

楠(くす)裕二投手(城 北)3年、左投げ、背番号1

楠(くす)公智投手(智弁和歌山)、右投げ、背番号10

更に2人には、雨中での甲子園での一戦を通じて、データ的にも何となく似た点が生
じた。

城 北・楠投手→(回)6、(打)27、(安)7、(振)3、(球)2、(責)0

智 弁
和歌山・楠投手→(回)6 1/3、(打)23、(安)4、(振)、7、(球)0、(責)0

尚、高嶋監督率いる智弁和歌山は5度目であるこの'93年夏、'87年夏のリベンジの
意味合いも込め、東北を延長12回の末、破りようやく初戦を突破。
同時に、'93年の同大会が春夏2度の甲子園大会を通して初の白星だった。

そして第2戦では、おなじみ49番目というしんがり登場の初陣、勝山五郎監督率いる
城北をも一蹴。3回戦まで勝ち進む。
しかし、初戦敗退が延々続くという苦労が続いたわりには、早くも翌'94年センバツで
木内常総を撃破。先ずは全国制覇を成し遂げたのは、野球ファンであれば、誰もが知
るところではある。

[匿名さん]

#852017/10/19 17:19
>>84
主審も楠だった

[匿名さん]

#862017/10/19 17:59
’93年の翌年、つまり’94年の夏、本来ならば城北は2年連続の甲子園のはずだった。
ところが、県大会期間中に寮内の食堂で食中毒が発生。城北ナインは主力選手を欠く
状況下で済々に敗れた。

[匿名さん]

#872017/10/26 17:17
>>85
ギャグか?(笑)
主審は榎田氏。

話を戻すが、食中毒発生後、熊日に城北高校食堂の調理師の求人が掲載されていた事があった。
偶然の一致とも思えん。

[匿名さん]

#882017/10/26 17:44最新レス
【姓が似た者同士】

’02年選手権

本田 英智投手(熊本工)●

池田 智英投手(小山西)○

[匿名さん]


『印象に残った選手』 へのレス投稿
レス本文 必須 750文字まで:残り750文字

スタンプ

NEW!
任意入力フォーム

お名前 任意 16文字まで
E-mail 任意

※削除パス機能は廃止しました。
会員は、投稿から24時間以内であれば削除パスなしで
削除できます。
詳しくは「削除パス廃止のお知らせ 」をご覧ください。
今すぐ会員になる

📘 ローカルルール
📌スレッドは立てる前に、重複していないか確認してから立てて下さい。重複スレッドは削除対象となります。
📌スレッドタイトルは、タイトルを読んで中身がわかるように心がけて下さい。
📌誹謗中傷にあたる書き込みは利用規約違反になりますのでお止め下さい。
📌重複スレッドを発見した場合は、スレッド下部にある「重複スレの報告」フォームよりご連絡下さい。
投稿前の注意
  • 掲示板あらし行為URLの記載は 一回で書込み禁止措置と致します。


前のページ12次のページ



🌐このスレッドのURL