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明治維新以降に明治政府が作った狂った教育の結果。女装=変態という図式が完成した。
日本は古来から公家や豪農などの間に女装文化が存在した。戦国武将の多くも女装を常としていた歴史がある。織田信長が城内では褌を着けず肌襦袢に打掛で過していたことは有名な話し。そのほか上杉謙信、石田三成、毛利元就、北条氏康、今川義元なども打掛を身に纏うことがあったとの記述が残る。
古くから高貴な世相の者が女性の着物を好んで身に纏ったという歴史があり、日本における女装への卑下は明治政府が作り出した国民統制の手段であったと思われる。明治以降は教育方針の中にも女装卑下が取り入れられてきたが、現代では高学歴高収入者に女装者(女装家)が多く存在することが判明し、マスコミにも取り上げられ徐々に浸透しつつある。日本における女装文化は再び復活の兆しがみられる。ただ性格が粗暴な者、主に知能程度の低い者は理解の域を超えているようで、女装などの話をすると発狂したように叫ぶ。