マグマ大使に出てくるゴアそっくりだったな
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[匿名さん]
マサ斎藤が全日に残っていたらジャパンプロレスは圧勝したに違いない
鶴田も天龍もマットに沈んだだろう
[匿名さん]
マサの肉体は凄い
天龍がまともにチョップしたら硬すぎて複雑骨折しそう
[匿名さん]
マサ斎藤なんか坂口以下だから
当時の馬場さんの小手試し、若しくはラッシャー木村の好敵手に充てるだろうな。
ジャパンプロレスはカーンやハリケーンズと仲良くしていれば勢力をもっと出し切れたと思う。
[匿名さん]
猪木とTWGP決勝で戦ったんだな
アンドレ、ホーガン、ハンセン、シンを呼べなくなった新日本の成れの果てだったな
[匿名さん]
マサ斎藤は大のカルピス好きで一日であの大瓶を一本空けていたという
練習後もでっかいジョッキにカルピスと氷入れて飲んでたな
ちなみに猪木が練習後に飲むのはウーロン茶で藤原組長は食事をしながらどんぶりに注いだ酒w
[匿名さん]
マサ斎藤、長州組で全日を制圧、連続防衛で鶴龍を圧倒してほしかった
2人ともカラダが凄く全日鶴龍を圧倒していた
[匿名さん]
あれ?そういえばマサ斎藤は全日本のリングには上がらなかったな
長州が新日に復帰してから帰国したんだっけな
[匿名さん]
タカサキの「結局プロレスが好きっ!」ってサイトにマサ長州vs鶴田天龍が載ってる
[匿名さん]
マサ斎藤て日本プロレス時代はカブキみたいな日本人特有のポッチャリ体形だったよな
アメリカに行ったらゴツくなった。
[匿名さん]
東京オリンピック 3回戦 反則負け
アマチュア時代からヒールだった!
[匿名さん]
マサ斎藤は収監されていなかったら鶴田を仕留めていただろう
[匿名さん]
マサ斎藤とキラーカーンはアメリカマットじゃステータス高いよな
おそらくどこのテリトリーでもメインイベンター
猪木よりは格上
[匿名さん]
アメリカのプロレス人気は馬場が海外修行に出ていた1964年前後がピークで
巧妙に隠されてたけど、その後徐々に衰退したからなあ
1970年代後半以降、日本が集客やマスコミ力、外国人ギャラで世界最高のテリトリーに
[匿名さん]
マサ斎藤は収監されていなかったら鶴田、天龍の全日トップを葬って
全日マットを制圧したに違いない!
[匿名さん]
アマレスの出来るツキノワグマみたいなマサ斎藤
個人的には、渋い感じがして好き
[匿名さん]
風貌は髭もじゃもじゃで野性的な感じ。
でも、実際は坊ちゃん育ちでアマレス五輪代表のスポーツエリート
外見と実際の育ちが、ずいぶんと違うな(笑)
[匿名さん]
アメリカ生活が長かったからか英語と日本語が中途半端に混ざったような独特の日本語を話します(笑)
[匿名さん]
昭和に存在した国内メジャー5団体(日プロ、東プロ、国際、新日本、全日本)
のリングでメインイベントを務めた唯一の日本人レスラー
[匿名さん]
キラーカーンにザグレートカブキにキムドク
にマサさんは強くて好きなレスラーでしたね(キッパリ
マサ斎藤&長州力が1番しっくりしますね(ウインク
長州力&谷津や浜口よりも(キッパリ
[匿名さん]
あ~なるほど
長州はマサ斎藤の方が合うな
谷津はそもそも長州を裏切って全日に残ったからな
[匿名さん]
東京プロレス旗揚げ前のハワイ合宿で斉藤昌典(後のマサ斎藤)は、はじめて若き日の猪木と相見えました。
「ターザンのような男」それが猪木に対する斉藤の第一印象だったそうです。初めてのスパーリングの時、内心「レスリングなら負けないぜ」と、タカを括っていた斉藤ですが、組んだ瞬間「うまい、強えや」と言う衝撃が走ります。
日プロでの甘っちょろいスパーリングとは天と地の差、必死について行くだけで精一杯。斉藤はプロのレスリングの奥深さを初めて肌で味わったといいます。オリンピック日本代表と言う輝かしい経歴を持つ斉藤にとっても猪木の強さは衝撃的でした。「それにしても、猪木さんが日本にいて、大学でアマレスをやっていなくてよかった。もしそうだったら、俺はオリンピック代表の座を奪われたかもしれない。俺は真剣にそう思ったものだ。」
[匿名さん]