昔は集落?村?町と人口密集地を区別していたが、その中でも、はみ出し者、厄介者は必ずいた。
エタや非人等だが、東北ではあまり無かったが、朝鮮出兵時に陶芸家として連れてこられた朝鮮人の末裔、それと人が嫌がる事を生業としていた集団、山禍(さんか 秀吉はこの出身らしい)戦により死亡した人、流行り病で病死した者等の埋葬等、これ等を引き受けて賃金を稼ぐ集団達を住まわせる場所として、村や町外れの地にまとめて住まわせていた。
明治政府の廃藩置県、戸籍制度の発行により、住民数の把握、住所の記載等が施行され、元々はエタや非人が住んだ部落は、日韓併合後に移住して来た者を含めて、朝鮮人が多くなっており、総じて朝鮮部落と呼ぶようなる。
エタや非人は、朝鮮人に組み込まれた、この表現が正しい。
この地の名称を部落と呼び、東北地方では、頭に なになに部落と呼んで、区別 差別化をはかっていた。
町単位になると、人が多く住み集まるので、今で言うところのホームレスの輩が湧く。
このような輩は、昔は現在の比ではなく、かなり多かった為、一箇所にまとめて監視していた方が良いと判断され、後の朝鮮部落に放り込まれた。
県内で有名な地域では、仙台より北部の地域。
地名は差し障りがあるので明記しないが、現在でも村の川沿いの地区。
前レスを掘り下げて読み直すと、誤った認識をしている人が多いが、仙台藩は、県北沿岸部からの物資(主に米)輸送に、貞山運河を利用した海運に頼っており、北上川?石巻?塩竈?仙台までの海運ルートは、仙台藩の主とした大事な財源で、財政を維持する為、特に重要とされていた。
そのような大事な場所に、エタや非人等を住まわせて置くはずもなく、小さな朝鮮部落はあったにしても、大規模な朝鮮部落は無かった。
[匿名さん]
今は部落の人も金持ちや立派な家屋とかも増えたんだろう
[匿名さん]
浄化槽なんか要らねえ!便所はぼっとんに限る
考えてみろ、それが一番ECOなんだよ
[匿名さん]
50年ぐらい前までは仙台市内でも露骨な部落差別はあった。
今はほとんど事務所になったり集合住宅化したり小綺麗な家になってわからなくはなっている。
[匿名さん]
亜炭採掘のボロかす宿舎!
くそ餓鬼どもが居た
センセー達もあんな所に自宅
訪問したんだろーかナww
[匿名さん]
亜炭採掘のボロかす宿舎!
くそ餓鬼どもが居た
センセー達もあんな所に自宅
訪問したんだろーかナww
[匿名さん]
ユーチューブで検索してたら
県南のI市とN市の市境付近の
田んぼの中にある地区に
それらしき民家があるようだ
[匿名さん]
部落出身「みもくりあ」だおっ!同和採用枠を利用するおwww
[みもくりあ]