仲井真は御先祖は純粋なおきなわんだ。名前頭のある人は全てそう。朝鮮が両班(やんばん。北はりゃんばんと言う)に憧れたように当時の琉球も中国出というステータスが欲しくてそうなのっただけ。
農民が俺は武士の出だというあのあこがれといっしょ 。
[匿名さん]
こいつら30年後災いの元になるってことで、コッソリ浄化しちゃいました。夢潰すようでスンマソ
[匿名さん]
勉強中です。
LINE【世良康雄】タイムライン参照
[匿名さん]
沖縄戦で系図を焼失した家庭はあまりに多い。
毎週土曜6時にやる日本の祭りで糸満ハーリーを放送していた
番組の中で何人かメンバーを取材していたが、
メンバーのうちの1人がうちはひーおじーのもっと前から(ハーリー関連)...ホニャララ言って、
家系図を見せるシーンがあったけど、系図の初代〜4代目くらいまで中国姓だった
[匿名さん]
久米36姓でなくても 琉球の支配階級の士族にはすべて 中国姓がある 一般的に 唐名という
そもそも 琉球では 和名はない
具志堅とか 金城と言った名は 姓でも苗字でもない 地位や役職で 土地の名を付けた
だから 地位や役職が変われば 具志堅が大城や金城に代わり 一生のうちで何度も変わる
先に 唐名 を付けて土地の名と 地位や役職名を付ける
例えば 「李登輝 金城里主 親雲上」 といった具合に
[アナゴ◆MWQwMTIx]
百姓など平民には姓を持つことが許されなかった
しかし ヤーヌナー(家名)というのがあって 日本の屋号に似ている
欧米のように 先に名をつけて後に家名をつけて呼ぶ
例えば カナー・サチバル(加那・崎原)といった具合に 日本名で例えれば 栄作・佐藤 と 姓が後になる
[アナゴ◆MWQwMTIx]
久米36姓とは、36の苗字があるわけではなくて、沢山あるという意味です。36は、縁起の良い数字らしいです。実際は13の苗字があります。福建省、広東省の客家ハッカ族の人々が中国皇帝の王命を受けて、琉球に仕事でやってきました。通訳、風水、儒教思想の教え(のちに徳川幕府に献上され寺小屋制度の手本教科書)になりました。主に3文字が多いですが、首里の武士が管轄した地域の名前が3文字の地名の名を賜り苗字になった家系もあります。
[匿名さん]
琉球王国時代の家系図は、家譜といって、廃藩置県迄首里城の系図座で門外不出で厳重に2部ずつ保管されていました。他県の武士は自宅で作成していたと伺っています。廃藩置県前に、お侍さん本人に、お渡ししています。もう一冊は明治時代の外務省が保管し、大正の関東大震災で、琉球士族の全世帯の家譜(一族の歴史書と家系図がセットになった古代の中国語)が焼け落ちて焼失しました。琉球から琉球政府になり、第2次世界大戦で、本人にお渡しした家譜は一族で保管しました。1010空襲で、多くの家庭の家譜が焼失しました。2980件あまりからわずか守り抜いた家庭は、原本以外に写本を含め600〜900件あまりです。戦後守り抜いた家庭の1世お屋敷は殆が出版されました。1980年代に文化庁の予算がおりて、ラストサムレー(最後の武士の子孫)縦の血縁がある男系には、家譜を複写コピーして政府から頂いています。そのときに、沖縄県内の公的機関は各家の家譜の複写コピーを保管しています。那覇市歴史博物館が最多で、沖縄県立博物館ではデジタル閲覧出来ます。参考迄にどうぞ。
[匿名さん]
久米36姓の子孫で結束された久米崇聖会が安里にあります。その会館では、琉球王国時代の研究をしています。子孫はDNA検査もしていると伺っていますが、確認がとれないので久米崇聖会にお問い合わせをどうぞ。
[匿名さん]