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2017/11/24 02:51
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NO.5564042

正道会館 東京本部
正道会館 東京本部
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#12017/09/09 10:07
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈“掟破りの空手家”佐竹雅昭〉

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2016年3月21日 19時0分 週刊実話
 80年代後半から90年代初頭、佐竹雅昭はコアな格闘技マニアの注目を一身に集めていた。
 所属する正道会館が主催したオープン大会『全日本空手道選手権』において、1987年から3連覇。極真空手主催の大会に参加を表明したものの、申込書類の不備という不可解な理由で出場がかなわなかったときは、「佐竹に優勝をさらわれることを極真側が恐れ、参加を拒絶した」との噂が、都市伝説のようにファンの間に広がっていった。

 それでも、まだこの時点での大方の認識は、関西ローカルの空手王者という程度のものであった。しかし、'90年に全日本キックボクシング連盟が日本武道館でビッグマッチを開催し、これに勇躍参戦したことで一気にメジャーな存在となる。
 このとき佐竹は、グローブを使用する試合の経験があるにはあったが(全日本空手道選手権の延長時においてグローブ着用&顔面ありのルールを採用)、正式なキックボクシングルールでの試合は初体験だった。
 相手は、かつて前田日明とも熱闘を繰り広げたドン・中矢・ニールセンで、佐竹戦の直前には、結果は敗れたとはいえ“キック界の帝王”ロブ・カーマンとも拳を交えていた。

[匿名さん]

#22017/09/09 10:08
圧倒的に不利な条件の下、それでも大歓声で迎えられた佐竹は、試合開始早々から積極的に前に出る。そうしてクリンチの体勢になると、掟破りの頭突き(バッティング)を連発!
 レフェリーにクレームを入れようとニールセンが動きを止めても、お構いなしにパンチの連打を浴びせ、ブレークのかかった後の一撃でKOしてしまった。
 「無効試合、あるいは佐竹の反則負けとなってもおかしくない試合ではありました。実際、当時の格闘技専門誌では、大々的に批判記事が掲載されたりもしています」(格闘技ライター)

 だが、そんな佐竹の闘いぶりを、多くの格闘ファンはファイティングスピリットの表れとして好意的に捉えていた。
 「この頃の佐竹のベストバウトは、'91年に開催されたUSA大山空手vs正道空手5対5マッチでの、ウィリー・ウィリアムス戦です。序盤、ウィリーの攻めを正面から受け切ると、あとは佐竹の独壇場。体格でひと回り以上も大きいウィリーに対し、上段蹴りや組み付いての飛び膝を狙うなど、積極的に攻め続けました。結果は判定ながら完全勝利といえるでしょう」(同)

[匿名さん]

#32017/11/24 02:51最新レス
申し込み書類の不備で出場出来なかった事が有ったと言う話しは初耳でした
本当の話しですか?

[匿名さん]


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