7月13日 午前9:00頃
吉岡の〝食の駅 吉岡店〟で当て逃げされてました。
私の前に停まっていた車は
駐車場内に収まってないVIp止めのような シルバーの、軽ワンボックスが私の前に停まっていたのは記憶しています。
家からソコヘ着くまでは一度も何処にも寄っていなく恐らく その車の仕業かと…なんで、そんな車の後ろに停めてしまったのか💧
でも、食の駅には駐車場を映すようなカメラはないようで…
😢泣き寝入りです。
たいした金額はいかないダロウけど…安くても2.3万はかかるであろう💧
入ってる保険も、イタズラには対応しているケド、当て逃げには対応していなく💦相手も分からないので…w
はい。。。自腹します💧
車の感じ…場所からして恐らく老人かとは思いますが…当て逃げ最悪💢
皆さんも気をつけてください。
[匿名さん]
A・カーネギー(1835-1919)は自伝の中で「私は一生のうち1回しか投機的な株売買をしたことがない」と語っている。だが、その足跡を見ていくと何度となく投機を試み、ことごとく成功している。まれにみる「投機の達人」「市場の名人」といえるだろう。カーネギーが「ただ1度の投機」と呼んでいるのは、南北戦争のころ(1861-65)、暴落したキーストン橋梁製作所の株を買いまくった一件であろう。
彼は、キーストン社は将来非常に有望な会社だと信じ、手持ちの全資産をこの株に投じた。しかるに不運なことに間もなく南北戦争が起こって事業は大打撃を受ける。キーストン社も設立早々とあってほとんど破産状態に陥り、株は大暴落、タダ同然となる。この時、カーネギーは自分に言い聞かせた。
[匿名さん]
戦争は永久のものではない。戦争さえ終われば、キーストン社もよみがえる。それまで踏ん張っていればいいのだ。大多数の株主が投げ出した株を全部買い占めてやろう」
こう確信したカーネギーは暴落株を買いまくる。昔から「遠くの戦争は買い」と相場格言にある。だが、足元で戦火が広がっている中で買い進むのは尋常ではない。知人や先輩は彼の暴挙を戒めるが、聞く耳を持たない。全株式の3分の2を買い占めてしまった。これには株式仲買人たちもあきれ果てたという。
やがて、戦争が終わり、キーストン社の事業も軌道に乗ってくる。増資の発表には応募の申し込みが殺到し、株価は一足飛びに20~30倍に暴騰する。カーネギーは25万ドルの巨利を占め、鉄鋼事業などに進出する資金はでき上がった。
[匿名さん]