OB・小枝守(こえだ・まもる、現・日本高等学校野球連盟技術振興委員)が
76年(昭和51年)〜81年に野球部監督を務めた。
甲子園出場は79年の1回だけだが、強豪・天理(奈良)に5−4の善戦をしている。
当時のエース投手・中瀬洋はアンダーハンドの制球抜群の好投手だった。
後に警視庁野球部初代監督を務めた。
小枝氏は、後に拓大紅陵(千葉)の監督も務め、92年夏に全国準Vを成し遂げた。
76年(昭和51年)〜81年に野球部監督を務めた。
甲子園出場は79年の1回だけだが、強豪・天理(奈良)に5−4の善戦をしている。
当時のエース投手・中瀬洋はアンダーハンドの制球抜群の好投手だった。
後に警視庁野球部初代監督を務めた。
小枝氏は、後に拓大紅陵(千葉)の監督も務め、92年夏に全国準Vを成し遂げた。