▽準々決勝
【神宮】
豊上ジュニアーズ(千葉) 3−2 東16丁目フリッパーズ(北海道南)
【小野路】
多賀少年野球クラブ(滋賀) 7−1 猪名川ヤンキース(兵庫)
【府中市民】
不動パイレーツ(東京第1) 5−1 弘前ビクトリーベースボールクラブ(青森)
【立川公園】
茎崎ファイターズ(茨城) 12−4 木田ネイビーブルーズ(福井)
[匿名さん]
カットボールというのは基本的にバットを出させて芯を外して凡打させるのが目的
[匿名さん]
作新学院の江川卓はカットボールなんて必要なかった。
ホップする速球だからバットに当たらないのだ。
球速はさほどなかったと思われるが伸びがハンパなかった。
[匿名さん]
江川はストレートとカーブしか投げなかった、というよりはそれだけで充分だった。高校時代ですでに完成された投手だった。バントしてもバットに当たらない、ピツチヤーフライでスタンドがざわめく、バットにあたったとね、江川甲子園対策でプレートから3メートル手前から投げさせた。甲子園はスタンド超満員、立ち見席も、入場できない人も、今の大谷が甲子園で投げてるようなもの、江川のような投手は二度現れないだろうね、
[匿名さん]
当時のビデオでは160キロは越えていたらしい、伝説の投手だよ、昭和の怪物という言葉が生まれた。
[匿名さん]
江川の球は高校野球、法政大学、と見てました。とにかく全国をフイーバーさせた歴史に残るヒーローでしよう高校野球を語ると必ずやでてくる名前でしょう。
[匿名さん]
高校時代すでにノーヒットノーラン、完全試合、含み6回ほど、一回戦から決勝まで打たれたのはわずか2本だけ。決勝でノーヒットノーランは今でも覚えている、
[匿名さん]
江川卓さんのスレッドあったろ?
それにレスしようや❗️
ついでだが、江川卓さんの速球は160キロは出ていない。高校時代で147〜8キロ。
伸びが異常だったから三振が取れた。
昭和55〜56年の江川卓が高校時代を彷彿とさせていた。球速はプロ時代の方が速い。間違いない。
当時は投高打低だったからそれも考慮しないと。
[匿名さん]
数字的な物は良く知らないが、今迄の投手の中では間違い無く桁違いの存在感だった。
[匿名さん]
カットボールどころかツーシームもチェンジアップもなかった時代の話をされてもな
[匿名さん]
現代はドングリの背比べみたいなレベルだが、昔は突出した選手がいたことは認める。
[匿名さん]