この前インタビューしてたけどとても60代には見えないくらい老けていた。
[匿名さん]
緑色のまわしがいつも緩いという印象しかない。まわしが緩いから伸びて相手は相撲取り辛かった。
[匿名さん]
昭和60年春初土俵。(一度脱走経験アリ)
俺の後輩もこの場所に初土俵を踏んだが2場所で脱走してそのまま廃業した。
[匿名さん]
鍛えても筋肉がつきにくい体質だったな、馬場みたいに。
[匿名さん]
同期生に霧島殿、太寿山殿、鶴嶺山殿(寺尾殿の長兄)らがいる。
彼等の初土俵は、大関貴ノ花が横綱北の湖を優勝決定戦で破って初優勝し大いに沸き返った場所だった。
[匿名さん]
初代若乃花の弟子で大関以上に上がった人物
横綱・若乃花
横綱・隆の里
大関・貴ノ花
大関・若嶋津
[匿名さん]
初代若乃花の弟子で大関以上に上がった人物
横綱・2代目若乃花
横綱・隆の里
大関・貴ノ花
大関・若嶋津
[匿名さん]
二子山理事長って、関取何人輩出したんだろ?スゲーな
[匿名さん]
大乃国が大関になれたのは、二子山部屋へ出稽古に行って、隆の里や若嶋津と三番稽古をしたからなれた。
大関になったとたん、隆の里が引退し、若嶋津が急に衰えてしまい、出稽古に来なくなったとか
[匿名さん]
名選手必ずしも名監督には非ずというが、二子山理事長は名選手(力士)尚且つ名監督(親方)だった。
弟子に力士としての能力があり尚且つ努力した人物が多かった事もあるかも知れぬが、その意味では弟子にも恵まれたと言える。
理事長本人に親方としての力があり尚且つ弟子にも恵まれた。
[匿名さん]
名選手必ずしも名監督には非ずというが、二子山理事長は名選手(力士)尚且つ名監督(親方)だった。
弟子に力士としての素質・能力があり尚且つ努力した人物が多かった事もあるかも知れぬが、その意味では弟子にも恵まれたと言える。
理事長本人に親方としての資質があり尚且つ弟子にも恵まれた。
[匿名さん]
貴ノ花と若島津の方が両横綱より、人びとの記憶に残ってる様に感じる
[匿名さん]
全盛期の大関時代は14勝で優勝したかと思えば次の場所は9勝止まりでまた次の場所は全勝優勝と隔場所で好不調があった。連続優勝またはそれに準ずる成績がなかったから横綱になれなかった。しかし、運良く横綱になっていたら短命横綱で終わっていただろう。
[匿名さん]