「週7日勤務」の仕事人間から主夫、男性を変えた妻の将来と母の死 「教員に戻らないの?」と問われると…
6/19(土) 7:02配信
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「週7日勤務」だった中島弘幸さんは、主夫になって子どもと過ごす時間が増えた=中島さん提供
連載『#父親のモヤモヤ』
中高一貫校の教員で、バスケットボール部の顧問。根っからの「仕事人間」で休日も家庭に不在がち。中島弘幸さん(40)は、3児の父親でもあります。4年前、主夫になりました。同い年の妻は公立中学の教員です。主夫になった当時、長男は小学4年、長女は小学1年でした。1歳の次男は、自宅で面倒をみていました。中島さんの生活は一変しました。やがて価値観も変わったそうです。(朝日新聞記者・高橋健次郎)
【漫画】立場逆転し妻が「大黒柱」になったら 連日遅くなる帰宅、頭をよぎるのはワンオペだった頃の…
「週7日勤務」の日々
学生時代はバスケ一筋でした。教員をめざしたのも、バスケに携わりたいと思ったからです。大学卒業後、教員になって顧問になった時は「夢がかなったと思いました」
26歳で結婚。翌年、第1子を授かりました。
家庭に関わっていましたが、「仕事人間」であることに変わりはありませんでした。
部活の朝練にあわせ、早朝から自宅近くの学校に行き、体育館の鍵を開けていったん帰宅。朝食をとって再び学校へ。部活が終わった後は、子どものお風呂と寝かしつけのために帰宅し、また仕事に戻る。そんな日々でした。
「休日は試合もありますし、『週7日勤務』でした」
一方の妻は、3人の子どもの産休と育休、そして職場復帰を繰り返していました。
6/19(土) 7:02配信
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「週7日勤務」だった中島弘幸さんは、主夫になって子どもと過ごす時間が増えた=中島さん提供
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中高一貫校の教員で、バスケットボール部の顧問。根っからの「仕事人間」で休日も家庭に不在がち。中島弘幸さん(40)は、3児の父親でもあります。4年前、主夫になりました。同い年の妻は公立中学の教員です。主夫になった当時、長男は小学4年、長女は小学1年でした。1歳の次男は、自宅で面倒をみていました。中島さんの生活は一変しました。やがて価値観も変わったそうです。(朝日新聞記者・高橋健次郎)
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「週7日勤務」の日々
学生時代はバスケ一筋でした。教員をめざしたのも、バスケに携わりたいと思ったからです。大学卒業後、教員になって顧問になった時は「夢がかなったと思いました」
26歳で結婚。翌年、第1子を授かりました。
家庭に関わっていましたが、「仕事人間」であることに変わりはありませんでした。
部活の朝練にあわせ、早朝から自宅近くの学校に行き、体育館の鍵を開けていったん帰宅。朝食をとって再び学校へ。部活が終わった後は、子どものお風呂と寝かしつけのために帰宅し、また仕事に戻る。そんな日々でした。
「休日は試合もありますし、『週7日勤務』でした」
一方の妻は、3人の子どもの産休と育休、そして職場復帰を繰り返していました。