南京大虐殺
民衆の戦意、こう作られた 近代史から学ぶ
毎日新聞2018年9月30日 12時43分(最終更新 9月30日 12時43分)
ちょうちん行列や博覧会などで、戦意があおられていく過程を説明する塚崎さん=大阪市北区錦町の国労大阪会館で2018年9月29日、亀田早苗撮影
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大阪市北区で29日、「『南京の記憶をつなぐ』結成のつどい」(実行委主催)があった。元府立高校教員で、関西大非常勤講師の塚崎昌之さんが「南京大虐殺 その時大阪では」と題して講演、近代の中国との関わりから、差別意識や戦意がどう醸成され、あおられたかという戦争の背景を考えた。【亀田早苗】
塚崎さんは、今も大阪城公園にあるこま犬が、1937年7月に軍が中国・天津を爆撃し、天津市政府の門前から略奪されたと説明した。こま犬は38年、兵庫県西宮市の西宮球場で開かれた「支那事変聖戦博覧会」で展示された。博覧会は戦意高揚を狙い、飛行機や戦車も展示した大規模な催しで、1日平均2万人を集めた。
37年12月にはまだ南京陥落に至らない攻撃開始翌日から、「祝陥落」のちょうちん行列があった。大阪市内15カ所で、同市の人口は300万人弱だったのに約50万人が参加した。
大阪では、明治になって開港した川口(現在の同市西区)に近い本田(ほんでん)に中国人が多く住み、中華街を形成。欧米人との取引仲介もして西洋文明の窓口となった。当初、蔑視はなかったが、日清戦争後、「清国人」捕虜を「北御堂」「南御堂」(現在の中央区)に収容。「野蛮」の象徴として見せ物にし、「文明人である大日本帝国臣民」のありがたさを思わせたと指摘した。
塚崎さんは、戦争の責任として▽都合のいい情報だけを流し、民衆を操作した政府・軍部▽戦争に協力した新聞社・企業▽あおられて無批判に参加した民衆−−と述べた。そのうえで「戦争は明るく始まる。それが怖い。末期には、後戻り出来ない悲惨なものになる。その前に気づかなければ」と訴えた。
実行委は12月、南京大虐殺を考えるドキュメンタリー映画の上映会を計画している。
[匿名さん]
敗戦時、日本人女性に対して満州で、朝鮮人、支那人、ソ連兵がおこなったおぞましい戦争犯罪の数々を隠し被害者面する為にでっち上げたものが南京事件たるもの
[匿名さん]
日本人に成り済ました朝鮮人たちが南京で中国人を襲った
[匿名さん]
俺の祖父の伯父は南京攻略作戦の時に中国人に殺された。
中国人憎し。
[匿名さん]
勝者が歴史を作るんだよ。有史ってのはそうやって作られてきた。
[匿名さん]