>>22
昭和50年3月初土俵の千代の富士の元付き人に聞いたことがある。
その人は元幕下力士、先代九重、北の富士の直系弟子(当時は井筒部屋に入門)
千代の富士の師匠、先々代九重の千代の山死去により九重、井筒合併。
合併後すぐ付き人になったわけではなく、付いたには千代の富士が横綱に昇進してから。
前置きが長くなりましたが、当時は九重と旧井筒の弟子達はしっくりいっていなかった。
千代の富士は関脇での初優勝、大関時代、横綱昇進まではガチンコ。
以後昭和59年ごろまでは適度で控えめな注射だった。
北の湖、隆の里の引退後から派手な注射相撲で優勝回数を重ねた。
30歳過ぎてからの優勝がそれを物語っている。