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No.7060426
#538
■神風特攻隊敷島隊の一員として最初に出撃した谷暢夫さん

 舞鶴市の中舞鶴地区、余部上(あまるべ かみ)に明教寺という浄土真宗 本願寺派のお寺があります。
その明教寺住職のお兄さんが太平洋戦争の時の最初の特攻隊員でした。

太平洋戦争の終盤、日本は神風特攻隊を編成。
神風特攻隊は敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊の4隊で形成され、「敷島隊」が特攻第一号でした。

昭和19年(1944年)10月25日
神風特別攻撃隊敷島隊の爆撃隊5名が数機の護衛機と共に出撃。
出撃し敵艦に体当たりした敷島隊の特攻隊員は以下の5名です。
第三番機の谷 暢夫(のんぷ)一飛曹が、明教寺住職のお兄さんです。

暢夫(のんぷ)さんは岐阜県揖斐郡大野町の浄土真宗の家に生まれましたが、お父様が舞鶴市の初代明教寺住職となったので家族で舞鶴市に移り住む事になりました。
その後舞鶴中学校から予科練(土浦航空隊入隊)に入学(甲飛10期)。
千歳海軍航空隊から松山海軍航空隊(戦闘201豹戦闘機隊)をへて神風特別攻撃隊敷島隊の一員になり、フィリピンのマバラカット基地から第三番機として出撃し、敵艦に体当たりし散華。
 
 神風特別攻撃隊敷島隊の5名は『五軍神』と呼ばれ、愛媛県西条市の楢本神社に特攻隊を慰霊する顕彰碑が残されています。
その碑は特攻の際に零戦が抱えていた250キロ爆弾の形を模して作られたもの。
敷島隊の隊長で一番機として敵空母に体当たりした関 行男大尉の出身が西条市だったので、この場所に神風の祀碑が建つことになったそうです。
毎年、10月25日(敷島隊突入の日)には軍艦旗が掲げられ、五軍神の慰霊大祭が行われています。

舞鶴市の明教寺にも、10月25日(敷島隊突入の日)に来られる方もいらっしゃるそうです。
明教寺本堂の中には飛行服姿の谷暢夫一飛曹の絵が飾ってあります。

谷 暢夫(のんぷ)さんの辞世
身は軽く つとめは重きを思ふとき 今は敵艦に ただ体当り
身はたとひ 機関もろとも沈むとも 七たび生れ撃ちてしやまん

敷島隊は、日本軍が採った「作戦としての特攻隊」の第一号となる部隊であり世界最初の人間爆弾として任務に当たった悲しくも運命的な部隊でした。


[ 曽根 ]
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