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No.5790863
#452
表向きは「日米和平交渉」していたが、裏では奇襲攻撃の準備をしていた日本。


12月1日の御前会議、昭和天皇が「開戦通告はおこなうように」と東条英機に告げた。

東条は「攻撃の30分前」に日米和平交渉打ち切りを通知すると決めた。

通知までに、ハワイ近海に乗り込んでおき、30分前に通知して、相手が準備している間に、すべてを叩くという作戦とした。


攻撃は、現地時間12月7日、日曜日の朝7時30分に宣戦布告、30分後の8時に攻撃開始と決まった。

(結局は7時30分の通知も遅れ、真珠湾攻撃が終わった1時間後にアメリカに通知されている)


アメリカ海軍では、朝8時ちょうどに星条旗を掲揚し、軍楽隊がアメリカ国歌を演奏するという習わしだった。

軍楽隊が8時の演奏を開始したところ、突然来襲してきた日本機から800kg爆弾が投下された。

約1,000名の乗組員は即死し、生存者もほとんどが大火傷を負った。


休んでいたローガン・ラムジー中佐は、その耳をつんざく音で、「いったい誰が休みの日に勝手に訓練しているんだ!」と起きた瞬間、窓の外に日の丸の機を見て表情を強張らせた。


キンメル将軍は、日曜日だからゴルフに行く準備をしていたところ、「日本機が真珠湾を攻撃している」という電話が入り、慌ててゴルフウエアから軍服に着替えて司令部に向かった。

前の晩からホノルルに遊びに出ていた兵は、あらゆる交通機関で基地に向かい、パトカーや消防車で駆け付けた兵もいた。


ラジオで「ハワイが攻撃されています」と繰り返し放送したが、「日曜日の朝からなんてジョークだ」と言っていた市民も多かった。

市長のレスター・ペトリーも、「ラジオまで使った完璧なデモンストレーションだと思った」と述べている。

しかしその後、多くの流れ弾でホノルル市民が亡くなった。


[ 匿名さん ]
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