<西条昇の“ストリップは今”〜七人のストリッパー 6>
日本のストリップショーは今年で誕生70周年を迎えた。最盛期は全国で300軒以上あったストリップ劇場も今では20軒を切るまでに減少。絶滅の危機と言われる一方で、その芸術性に注目した女性客が急増するなど新たな動きも見られる。7回にわたって、ステージで観客を魅了し続ける個性的なストリッパーたちに話を聞くことで、“ストリップの今”に迫ってみたい。
●日本のストリップ誕生70年
1999年11月にストリッパーとしてデビュー。現在も定期的にストリップ劇場に出演しながら、女優・モデル・マルチパフォーマーとして多彩な活動を続ける若林美保は、東北大学工学部出身である。専攻は生物化学。卒業後は、あの理化学研究所でアルバイトをしていたこともある。
そうしたバリバリの“リケジョ”からストリッパーへ転身する経緯を若林自身に語ってもらった。
「父は理系の技術者で、私は漠然とタレントになりたかったけど、そういうことを許してくれる家庭じゃなかったので、とりあえず山梨の家を出て一人暮らしをしたかったんです。東北大なら親も納得するだろうと。でも、ホントにやりたいことではなかったし、入学後はお芝居の養成所に通ったり、夜の仕事をしたりしていたら院試に落ちてしまって。それで、がんセンターでのバイトを紹介してもらって、そのつながりで理化学研究所に…。東京に来たら、アダルト系のスカウトマンに声をかけられて、パンチラとか目線入りのグラビアとかの素人モデルをするようになりました。ある時、親にバレて、アダルト系の仕事を辞める方向で落ち着いたんですけど、別の事務所からスカウトされてAVに出て、ストリップ劇場にも出ることになったんです。デビューは大阪の東洋ショー劇場でした。素人モデルから見たら華やかな世界でしたし、やりたい仕事の一つではありましたね」