東京 山谷
住民の85%が、生活保護受給者の街。
山谷争議団などの左翼活動が盛んで、警察や街宣右翼とたびたび衝突している。
これまでに、数百人から千人規模の「暴動」も複数回発生している。
昭和59年(1984年)12月、佐藤満夫(全共闘運動にて火炎放射器を噴射して英雄になった左翼過激派)が、「東アジア反日武装戦線」の支援をうけて、映画の撮影を山谷で始めた。
国粋会系右翼「皇誠会」の構成員が、「いいかげんなデタラメ映画を撮るな!」と、佐藤を刺した。
山谷争議団のメンバーが皇誠会事務所を襲撃したが、山谷争議団リーダー格の山岡強一が拳銃で撃たれ、返り討ちにあった。
『皇誠会(右翼)VS 山谷争議団(左翼)』の全面抗争となったが、警察は「山岡が悪い」と、皇誠会の肩を持った。
山谷争議団メンバーの60人が交番に乗り込み、「ヤクザを動かしているのはオマエら警察だ!警察は右翼ヤクザのバックだ!警察が右翼ヤクザを使って我々山谷争議団の壊滅を図っているんだ!」として、巡査部長1人を集団で暴行して殺害した。
さらに、500人以上のホームレス・労働者が、山谷で略奪や放火を連日に渡って繰り返した。
現在も山谷は左翼の巣窟(中国シンパ、北朝鮮シンパ)であるため、反自民デモなどで勢力的に活動している。