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🔰 練習・テスト


No.4223000
#527
☆記録上では義詮の画像はいくつか確認できるが、現在そう言い伝えられている作品は、これ以外殆ど無い。美術史学者の米倉迪夫は、神護寺三像(国宝)の一つ「伝藤原光能像」について、足利義詮像とする新説を唱えている。伝光能像の容貌が等持院像に酷似しており、共通の紙型を元に制作された可能性が高いことが根拠である。また日本中世史家の黒田日出男は、米倉の論旨や当時の政治状況をふまえて、神護寺三像のうち特にセット性が明瞭な伝源頼朝像と伝平重盛像がそれぞれ足利直義像と足利尊氏像とすると、残りの伝光能像は義詮像としか考えられない、と論じている2。一方、従来の宝筐院本について見ると、本作品が発見され義詮像とされたのは意外に新しく、戦後になって日本史学者の赤松俊秀によって紹介されてからである3。しかし、宝筐院本の面貌表現を比較すると、等持院像や或いは伝光能像よりも、安国寺にある尊氏像との共通性が感じられる。また、宝筐院は幕末に一時全くの廃寺になり、義詮像は大正8年(1917年)に宝筐院が再興された時に他からもたらされた蓋然性が高いことから、宝筐院本は義詮ではなく尊氏像である可能性が指摘されてい


[ 匿名さん ]
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