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🎆 長岡市雑談


No.6358603
#293
   この酒井貞蔵の斬姦状に賛同し、河井継之助は自分が斬ろうという者も出てきました。それが、藩 士の加藤一作で、河井継之助を斬る刺客は彼を中心として、何名かのグループが選ばれ暗殺計画を練 ります。
その結果、暗殺の場所は、河井家の菩提所の長興寺裏、決行日は河井家の先祖の祥月命日としました。
長興寺近辺は町はずれにあり人通りも少なく、しかも命日ならば必ず立ち寄るであろう。
 一方で河井継之助の一派の方でも、このような企てがあると言うことは、薄々気が付いていたよう です。側近の者が、継之助に注意しても、「俺を殺せるほどの者はいないだろう。」と言っていたそ うです。
さて、いよいよその日がやってきました。当日の夜、加藤一作等の刺客はお寺の物陰に潜んで、河井 継之助を今か今かと待っています。その前に河井継之助は現れました。刺客等の存在に気が付いたの か、継之助は陽明の詩をうたいながら刺客の前を、堂々と歩いていきました。そのあまりにも悠然と した態度に圧倒されて、切り込むタイミングを失ってしまいました。継之助の得意とする「気」で勝 負したものでしょう。
こうして河井継之助暗殺計画は、失敗に終わりました。
この後も、加藤一作は河井継之助を狙ったとも言われますが、暗殺は未遂に終わり、この件について は処分者も出ませんでした。
 この後、恭順派の拠点となっていた藩校崇徳館に、河井継之助は腹心の鬼頭六左右衛門に1個小隊 をつけて派遣し、恭順派の動きを監視させました。その結果、恭順派は何も活動が出来なくなりまし た。

参考「越後長岡藩の悲劇」磯部定治著 新潟日報事業社
  「歴史読本 河井継之助」95年4月号 河井継之助暗殺計画の真相ー稲川明 雄著


[ 匿名さん ]
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