「椅子の下にある救命胴衣を取り出して付けて下さい」ベスト着用開始。
L5受持ちスチュワーデスの手伝い。18:38「機体の左右の傾き揺れ角はじっと立っていられ無い程に成る」ダッチロールには思えぬ動きに為る。
富士山3779m中腹でアルバイト住み込みの人が帰宅途中ふらふらJAL123便を見る。「其の飛び方は飛行機と思えない」と証言する。
18:40 スコーク77 (squawk7700=緊急事態:Emergency) スクリーンに「凹」マーク再出現。
18:40:45
(東京ACC) JAL123どうぞ
(JAL123) はいなんですか?
えーと
ちょっと待って下さい
今 エマージェンシー
ディセントしてますので
(東京ACC) JAL123了解、わかりました
(JAL123) えー
もう少ししたら
(東京ACC) わかりました
そして……
(JAL123) あー コンタクトしますので
18:41:10
(東京ACC) JAL123、羽田にコンタクト
しますか?
18:41:17
(JAL123) そうおねがいします
もう一度
あー 再び コンタクトしますので
えーこのままモニターしておいて
下さい
(東京ACC) はい理解、スタンバイ
6時40分頃、再度、日航機長の声を聞いた。その声は非常に動揺しており、管制とのやりとりは、航空の標準語である英語ではなく日本語だった。こんな事は、几帳面な東京管制官の通常の離陸管制では考えられないほど異常な事だった。
マイケル・アントヌッチ氏の貴重な証言は、日航機事故から10年、米軍人コミュニティ向けの新聞「スターズ・アンド・ストライプス」に「アントヌッチ証言」で掲載された。