ミッドウェーの敗因
アメリカ軍は、戦力が乏しく、空母3隻ほか『57隻』。
一方、日本軍が動員した戦力は、空母6隻、ほか戦艦11隻など、『350隻以上』。
日本軍は「間違いなく勝てる」と決めつけ、「敵の空母はミッドウェーにはいない」とも決めつけていた。
「敵機動部隊撃滅」なのか「島攻略」なのか、目標も曖昧だった。
ミッドウェー攻略作戦の指揮官、南雲忠一中将は、年功序列で長官になっていたが、「水雷」が専門であり、航空は素人だった。
索敵のミスについて吉岡忠一少佐は、「敵空母はいないだろうと聞いていたため、判断が甘くなっていた」と言う。
連合艦隊はミッドウェーに機動部隊がいる兆候をつかんだが、一航艦に知らせなかったこともミステイク。
兵装転換のミスについて飛龍の航空整備兵は、「兵装転換で出撃が遅延して失敗したのが2か月前のセイロン沖海戦で発生したのに、まったくバカな命令だ、偉い人は何考えているんだ?」と思ったと述べている。
加賀の艦攻隊分隊長の牧大尉は、「もしも敵空母がいたらと考えるべきだ」と抗議していた。
それにもかかわらず、南雲は兵装転換を命じてしまい、格納庫内には多くの魚雷、爆弾、燃料を搭載した艦載機で満載になり、誘爆、沈没の原因となった。
アメリカのロナルド・H・スペクター博士は、「アメリカ軍の戦闘機は日本より劣っていた。日本が兵装転換せず、艦爆隊36機を出撃していたら、アメリカ空母部隊は多大な損害をうけていた」と語る。
日本軍全般における傾向だが、日本の空母は「防御力」が非常に弱く、赤城は爆弾2発で大破した。
一方、アメリカ軍のヨークタウンも3発被弾しているがすぐに復旧して航行、この回復力の違いが日米の明暗を分けた。