山口 彊
広島市と長崎市で2回被爆した、二重被爆者。
長崎三菱の造船所に勤務していた1945年5月、広島三菱の造船所に8月7日までの長期出張となった。
8月6日朝、職場への通勤途に広島市に原爆が投下されて被爆した。左鼓膜が破れ、左上半身にやけどを負い治療を受けた。
翌7日、広島市内の己斐駅から国鉄山陽本線の列車に乗り、長崎へと帰った。
8月9日、長崎三菱造船で勤務中、長崎市に原爆が投下され、再び被爆してしまった。
彼の原爆手帳には、2度の直接被爆が記載された。
三菱造船を定年退職した老後は、精力的に欧米各地を廻って、核兵器廃絶を訴えた。
90歳になっても、映画に出演するなどして、その映画をアメリカで宣伝するために渡米した。
92歳になった2009年3月、体調不良で長崎市内の病院に入院。
翌年1月4日午前5時38分、胃がんのため死去した。93歳没。
マスコミは、「また一人、原爆の後遺症による癌にかかって亡くなった」と報じた。