タイガージェットシンとのタッグパートナーは最高だったね故上田馬之助選手☺
[匿名さん]
フリー転向後に主戦場としていたオクラホマ地区には、デビューして間もない頃のスタン・ハンセンとフランク・グーディッシュ(ブルーザー・ブロディ)も出場していた。
上田は若く貧しかった彼らに目をかけ、モーテルの自分の部屋に泊めたり、食事を御馳走したりしていたという。
[匿名さん]
馬場ハンセン初対決の時ハンセンのセコンドについてたね
凄い貫禄あったな
[匿名さん]
若手の頃、上田選手のマットでの評価は低かった。観客たちからついたあだ名は「眠狂四郎」。
目が細く顔の表情も乏しい上田の試合は、地味なグラウンドの攻防ばかりで眠くなると評されていた。
[匿名さん]
子供がいじめにあわないようにと海外の学校に入れ自分が父親だとは他人に悟られないようにしていた。
[匿名さん]
若手の頃、猪木と上田は仲が良かった。
スター候補でありながらセメントの強さにこだわった猪木と、地味な前座でありながらもセメントには定評のある上田は、道場では共に最強を目指して汗を流した仲だった。
[匿名さん]
上田がセメントに定評があったとは これまたトーシロらしいご意見乙
[匿名さん]
国際プロレスでの極悪ヒールっぷりを猪木が評価して組ませた
[匿名さん]
――桜田さんは上田(馬之助)さんの付き人だったんですよね。
桜田 そう。上田さんはちょうどアメリカから帰ってきたばっかだった。キラー・カンは吉村(道明)さん、佐藤は馬場さん、藤波は猪木さん。俺が上田さんだったけど、何も用事がないんだもん。付き人として凄く楽。ほかはみんな大荷物だけど、上田さんは荷物も小さいしさ。優しい人だったよ。仕事はちゃんとやるけど。
――上田さんは仕事もできたうえに、ガチンコも強かったんですよね。
桜田 何回もやったことあるけど、メチャクチャ強いよ。猪木さんも強いです。猪木さんと上田さんは用事がないかぎり道場で来て練習してたから。馬場さんは来なかったけど。
――そこはイメージどおりですね(笑)。
[匿名さん]
昔のレスラーって今のようにプロレスファンからレスラーになったのってそんなに居ないんだよね。貧しい家庭で育った人が多く職業と割り切ってやるビジネスマン的で良かったと思う。
常識人として尊敬しあう時代だったんじゃない?
[匿名さん]
上田もそうだったし、今も昔も相撲取りの再就職先なんだね
[匿名さん]
藤波 「上田さんは、日本プロレスで一緒だったんだけど、僕が入門した時(1970年6月)は海外遠征中でね。それから随分たってから帰国されてね。もちろん名前は知ってたけど、道場にはたまに顔を出すぐらいで、一緒に練習したことなかったから、日プロ時代は、そんなに印象はないんです」
上田は、関係者やプロレス記者の間で道場のスパーリングが強いと言われていた。
藤波 「確かにみなさんが上田さんのことを“スパーリングが強い”とか言っているのは知っているんですが、僕自身は、上田さんとスパーリングをやったことはないし、試合でも相手を倒して寝技で攻めてくるっていう、そんな動きをしたことは1回もないから、そういうイメージはないんです。どのあたりから上田さんについてスパーリングが強いって広まったのか、僕にはわからないんです」
[匿名さん]
上田は、猪木が日プロを追放された時、水面下で社内改革へ動く猪木サイドの行動を幹部に内通していたと伝えられている。
藤波 「上田さんの内通は、いろんなウワサがあったけど、当時、僕は若手の中でも一番下だったから実際のところはわからない。ただ言えることは、本当に内通したことに対して猪木さん自身が許せない気持ちがあったなら、新日本に上田さんが上がったことはなかったと思う」
[匿名さん]
馬場とのシングルでジャンピングアームブリーカーの波状攻撃により
腕を亜脱臼させられレフェリーストップ負け
[匿名さん]
「実はセメントが強い」とか「隠れたテクニシャン」と言われても、体型一つとっても明らかに練習不足ですし、
実際の試合をどう贔屓目にみても、そんなにスゴイとはまるで思えません。
確かに若手時代はスパーリングや極めっこでは強かったのでしょうが、
肝心の試合でそれを「観客に伝える術がない」というのが、観ていてひたすらつまらないのです
(ただし、UWFイリミネーションでの前田との場外心中はいい仕事でしたね、それもあの策を授けた猪木がスゴイのですが…)。
[匿名さん]
馬場は頭が悪いから策士ではないよ。内縁の妻の元子さんが本当の策士でした。後はゴングの竹内さんとかウオ―リー山口が知恵を出してた。お金を出してたのは日本テレビ。
[匿名さん]
上田が一般週刊誌で元子夫人の悪口を仄めかしたから
夫人の意を受けて馬場がリング上で制裁した説
[匿名さん]
晩年の車いす生活が本人も悔しかったろう
でも、悪役やのに、看病してくれる女性が居たんだから、根は女性には好かれてたんだろう
悪役をやってて女性が近づいてくれるためには、プライベートでは好人物じゃないとな
[匿名さん]
本当は馬場、猪木より早く入門面接に来てたのだが、家族に反対されて日本プロレスの入寮が遅れたため、
馬場、猪木より数か月、後輩に成ってしまった、との事。
[匿名さん]
国際プロレスの吉原社長は馬の助が金髪で海外から帰って来た時、「おじいちゃん、頭が狂ったのか??」て
真顔で、上田に尋ねたらしい。上田は若いころから地味で老成している感じで、吉原社長は馬の助のことを
「おじいちゃん」て読んでたらしい
[匿名さん]
猪木のシンに対する腕折り同様
上田も実際には脱臼していないのでは
[匿名さん]
プヲタって毎日試合があることの異常さわかってないだろ
[匿名さん]
上田 馬之助(うえだ うまのすけ、
1831年(天保2年)- 1890年(明治23年)4月1日)は、
日本の武士(肥後新田藩藩士)、剣術家(鏡新明智流)、警察官。
遠江国浜松藩出身の新選組隊士、上田馬之助は同姓同名の別人である。
[匿名さん]