>>973
日蓮宗の読み方は鎌倉時代の古文の読み方や発音を無視した読み方なのです。
たとえば、『開目抄』の有名な御妙判である。
日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり
(時代書写・日興要文・富士北山本門寺)
しう=当時の発音SiU は鎌倉遺文のかな表記では漢字の主にあたり、し=当時の発音Siは漢字の師に相当することが明らかです。
また前段では
夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり 所謂主師親これなり と外典・内典の主師親を示されています。
ゆえに『開目抄』全編を通して読めば、正像二千年の主師親三徳具備の教主は法華経文上脱益の教主釈尊であり、末法今時では上の御文の通り日蓮大聖人こそは釈尊主師親三徳具備の法華経文底下種の教主釈尊となるのです。
この「しう し」を日蓮宗では「したしき」と無理に読んで日蓮大聖人の主師親を否定するのですから、日蓮を名乗る資格すらありません。
松原泰道氏の『法華経入門』は一部八巻二十八品の『法華経』の解説としては優れた視点で書かれていますが、所詮は件の『法華経』の入門書であります。
末法では『法華経』そのものには人類を救済する力がありません。
古代インドの習俗を取り入れて編纂されているため、不要な夾雑物を数多に含み現代性にそぐわない面が否めないからです。
末法の衆生救済の要法は日蓮大聖人の南無妙法蓮華経であり、それに対すれば『法華経』本門の釈尊は脇士となるのです。
私達、日蓮正宗信徒はあくまでも代々の御法主上人猊下の御指南と御教導に従うのみにございます。
あの高橋幸弘殿は日本語の読解力が乏しく言うて詮無い御仁なので貴辺につけて申します。
末法の世では『法華経』は補助に南無妙法蓮華経の唱題を正行として修業することが一生成仏の唯一無二の道なのです。
南無妙法蓮華経