>>133
『憲法9条の改正がやりたければ先ずあの安全保障関連法制を一旦廃止して、「内閣法制局見解」の「解釈変更」の部分は無かったことにしなければなりません。』
…憲法が改正されれば、現在のMacケンポーについての〝解釈〟は、当然何の意味もなくなります。
これまで様々な憲法解釈が捻り出されてきたわけですが、その理由は、現在のMacケンポーの世界観が当時のあまりにも特殊な世界情勢を反映したもので、その後の情勢の変化において現実離れしてしまったことにあります。
Macケンポーが公布(1946年11月)された頃、米国の軍事力は他を圧していました。
米国は唯一の核兵器保有国(ソ連最初の核実験は1949年8月)でしたし、ソ連もドイツに勝てたのは、米国が戦時中に見せた圧倒的な支援によるものだと痛感していました。
米国もこれを自負し、日本どころか英仏にも〝弱い軍事力は不要〟と公言していたのです。
米ソ対立は顕在化していましたが、米国が自由主義世界における唯一無二の超大国として教導していくと言わんばかりでした。
そんな状況下でMacケンポーは公布され施行されたのです。
「自由主義陣営にいる限り米国が守ってやる。軍事など考えなくてもよい」…この言葉に強い説得力があったのです。
しかしその後の世界情勢は変わっていきました。
東西冷戦が深刻化し、ソ連やシナも核武装するに至りました。シナの代表政権も中共になり国連安保理常任理事国の座も握りました。
やがてソ連崩壊で東西冷戦は終わりましたが、ロシアは相変わらず強権的な体制を崩しません。
イスラム圏ではテロが頻発し、またシナがその独裁体制のまま自由主義陣営を取り込むことで経済成長し、いまやロシアと並ぶ自由主義陣営の敵になりました。