他県のキチガイスレに飛ばされたんだけど!
どうなってんの?
[匿名さん]
朝鮮には、植民地時代の頃まで日本の部落差別とよく似た白丁(ペクチョン)に対する公然たる差別があった。白丁とは、朝鮮時代に屠殺業、柳器製造、肉類販売などで生活を営んだ人々である。朝鮮王朝時代の白丁は、最も低い身分である“賤.民”に属した。この“賤.民”層には奴婢をはじめ、妓生(キーセン)や巫堂(ムーダン)なども含まれる。だが、白丁は“奴婢にも及ばない者”と言われる存在だった。朝鮮の近代改革と言われた甲午改革(1894年)で身分制は廃止されたが、白丁に対する根強い差別意識や慣習はその後も続いた。
白丁には戸籍がないので兵役や納税の義務もなかった。しかし支配層の管理の対象として住む場所は制限され、移動の自由がなかった。一部の地域では、チョゴリ(上衣)の襟に白丁であることを示す黒い布きれを付けさせもした。通りを歩く時は、腰をかがめて早足で歩く“白丁歩き”を強いられた。身なりも制限された。絹の服を着ることは許されず、成人男性なら誰もが被る“カッ”(帽子)の代わりに、粗末な笠を被ることしか許されなかった。女性の場合は、結い上げた髪にかんざしを挿してはならないとされていた。さらに、婚礼の時には輿にも乗れず、死んでも遺体をサンヨ(喪輿:棺を墓まで運ぶための輿)に乗せることすら許されなかった。
[匿名さん]
鉄砲女郎が働く切見世には需要があったわけですが、ただ、揚代が安い分、鉄砲女郎は多くの男性の相手をしなければ、十分な報酬はもらえません。
そのため多くの相手と関係を持つことで、様々な病気に感染してしまう恐れと常に隣り合わせだったのです。そういったリスクは、鉄砲女郎を買う男性客側にも同様にありました。
病気に感染した女郎に”当たる”可能性がある、病気に”当たる”可能性がある…というところから、”鉄砲女郎”と呼ばれるようになったのです。
[匿名さん]