18:56:28「ウワー」クルー3人絶叫(朝日新聞、1985年8月30日)命中。
18:56:33.2本目が前から第4エンジン内部に命中。
「胴体から煙を噴きながら超低空で東北方角へ飛行」南相木村栗生主婦。
「川上村の人達は、飛行機は北東の方へ炎をあげて飛んで行ったと話している」北相木村菊池村長
『飛行機は南から北に向かって飛んでおり、左を下げるように旋回しながら三国山
の向こう側に消えた。その途端、「ドーン」という大きな音がして、空が真っ赤に
なり、原爆のようなキノコ雲があがった』
「日航ジャンボ機墜落 朝日新聞の24時」
一方、機体は…。
まだかろうじて飛行中と言える段階に於いて、核爆弾が大音響と共に炸裂。
「巨大な黒いキノコ雲に成って天に上った」川上村梓山井上薫氏
機体は飛行を続けるが…
核は上方向に爆発、客室の床を持ち上げる方向に作用した。
爆心付近の客室の床は凄まじい勢いで瞬間的に持ち上げられ、持ち上げられた客室内の床上に姿・形として存在したものは次の瞬間、客室の天井との間に挟まれて押し潰されながら、勢いは止まらず、天井をも押し上げて仕舞った。更に次の瞬間、床ごと持ち上げられた客室内と天井部分とはJAL123便を形作る機体上部の外板をも破って仕舞い、機体を分断して仕舞う程の物だった。
[匿名さん]
特に惨いのは爆心の床上付近の座席にいた乗員や乗客達です。その辺りの位置に居た人達の人命は機内で起きた核爆発に伴い、ひとたまりもなく一瞬で押し潰される様にして奪われてしまったばかりか、生前の名残を見付るのが困難な程、離断遺体化したのです。
飯塚訓さんが著された『墜落遺体』という書物の109ページに遺体の惨状が記されています。
頭部のない、背広を着た上半身のみの遺体。
首のあたりに纏って居る皮を、医師と警察官が引っ張りながら伸ばしていくと、男性の顔であった。
この男性の乗客はシートベルトをしていたはずですが、下半身が無くなり、然して頭部が無くなっているのは、客室の下で上方向に作用した大きな爆発があって、その爆発の影響を直接受けたので、下半身が消滅して仕舞い、更に、一瞬の事ですが、床ごと天井に叩き付けられたので、頭部が首の辺りに減り込んで仕舞った。分析すると遺体の惨状がどうして出来たのかが理解出来る。尚、火災の影響で下半身が消滅したと言うのならば、この方の背広は燃えて仕舞って残って無い筈です。
[匿名さん]
一方で機体後方部の客室の床は、爆心付近の客室の床が押し上げられた反動で、逆に客室の下の機械室の付近の領域に落ち込んだと思われる。
クルーは機体を、不時着させる為、的確な操縦に全力を。
標高3,000mの辺りから標高1,500mの地点まで落下へ。
「真っ逆様に落ちて行きます。窓の外の景色がどんどん変わりました。機体は何回かガクンと方向を下げて」(変則的旋回)生存者の吉崎博子氏
「上空700〜800m付近を飛行機が旋回しながらゆっくりと降下」
リモートコントロールで操縦されクルーも為す術は無く…
45度くらいの角度で落ちた。真っ赤な爆発、黒い煙があがった 「日航ジャンボ機墜落」
長野県内 川上村 飛行中に炎上 赤い炎を上げた飛行機が、黒い煙を残して山中へ消えた(最初の110番通報) 墜落後、炎上
群馬県に飛行機が落ちた(2件目の110番通報)
18:56:50に右に傾いていた機体が右翼を一本唐松【標高1,530m地点。樹齢202年。地表から14mの高さ鋭利刃物切断した様に直径30cmの太さの枝が折れる。】に引っ掛け第4エンジンは落下(フライトレコーダー第4エンジン出力0%)る。その直後、右の翼が地面を25メートルに渡ってえぐっている。
[匿名さん]
機首が39度に上がり、速度は108kt (200km/h)迄落ち失速警報装置が作動。
懸命の操縦により機体が上昇に入るが、右翼は更に傾く。
18:56:53(地震計は1秒で減衰)には、機体が約90m上昇した所で右翼が山肌を抉り、「U字溝」(標高1620m。墜落地点から1km) と呼ばれる傷跡を残した衝撃で、分解促進。
その直後の、機首が御巣鷹山の尾根に激突する約2〜4秒前、墜落地点から距離にして300〜500m手前付近の空間で、
垂直に墜ちていった飛行機が少し頭を持ち上げて下り勾配の山林を実際に薙ぎ倒し、そのまま300〜500m位は同様に山林を薙ぎ倒す様に見える姿勢を保ちながら…、
18:56:55地面に衝突【10秒近く尾を引く墜落現場付近東大地震研究所に微小地震計。後で事故調査委員会の墜落時刻に合わせます】
※機体の前後の姿勢が地上と水平な姿勢に持ち直されていたので、直ぐには山に衝突しなかったのです。
[匿名さん]
「北北東の三国峠の岩蔭に閃光をあげて激突する」川上村伊藤剛氏
事故直後の18時55分頃から、「南相木村と群馬県境で赤い煙を見た。10分後に黒い煙になって消えた」など、かなりの数の情報が寄せられ、内容は群馬県方面に飛行機が落ちたと言うものが多い。
御巣鷹の墜落現場に、自衛隊の核・生物・化学兵器(NBC)部隊が、出動。
陸上自衛隊のNBC兵器防護部門は、「埼玉県・大宮に設置されている化学学校と、化学学校隷下の実働部隊である第101化学防護隊(当時)で「化学防護車の検知機器はヘリに積んで、地上の放射能を測ると言う事も可能。1985年日航ジャンボ機墜落事件の際には、御巣鷹山に飛散した積荷の医療用アイソトープの捜索にも駆り出された」(別冊宝島編集部編『自衛隊の実力』158頁)
御巣鷹山一帯が、自衛隊特殊部隊の秘密訓練地帯に為って居る。
墜落現場は、スゲノ沢の尾根で、スゲノ山の筈だが、御巣鷹山と呼ばれ示唆的。御巣鷹尾根とは…
。
18:57にレーダーから消えた機体は先行し低空飛行して墜落後に墜落現場の情報を撹乱させる機体でも有った。
一部関係者は低空飛行をし続けていることを願い、JAL、東京航空交通管制部、横田基地管制などが123便に対して呼び出しを続けていた。社内専用無線では同僚たちからクルーへの励ましの言葉も伝えられたと言われている。
[匿名さん]
墜落現場の山は高天原山の山系で、スゲノ沢が有り本来はスゲノ山と呼ばれるべき…御巣鷹の尾根
とは、御巣鷹山作戦の尾根の略。
前哨隊
ファイアービー(リモートコントロール)は、新島支所かまつゆきから発射。ASM-1発展型の沿岸防衛用国産巡航ミサイルSSM-1】に開発中の頭脳を搭載してテスト評価。ステルス性能評価(SSM-1は、地上基地、陸上移動発射台、或は航空機からでも発射できる巡航ミサイルで、その飛行モニターを空中では電子戦機EC-1、海上では護衛艦「まつゆき」が実施するならば、ミサイルの発射実験は可能)
誘導隊
誘導先行機体【米軍B707外装の軍用版RC-135(上野村の「慰霊の園」の展示室のエンジン回収中写真参照】
始めは1964年に電子偵察機として改修されたが、その後信号収集機能や弾道ミサイル情報収集、弾道ミサイル実験の光学・電磁情報収集などの情報諜報機能を追加改修で装備し、同じ型式から他のそれぞれ違う形式に改修されたり、偵察機から輸送機や空中給油機への改修やその逆もあり、これら改修によって型番が複雑になっている(鶴丸マーク塗装)ファルコンミサイルの発射実験をモニターしていたと考えられます。米軍は、民間機、軍用機を問わずコックピットと管制塔との交信全てを傍受するシステムを敷いて居る)
)
追従したジェット戦闘機の2機【空自百里F-4EJファントム戦闘機2機-第305飛行隊。三菱重工業ライセンス生産】
[匿名さん]
JA8119(123便)
JAL123便後方のF-4ファントムⅡ戦闘機2機(1985年1月から8月航空自衛隊の岐阜航空実験団F-4EJ性能向上型)
本隊
C-1(EC-1)川崎重工業製のC-1を電子戦用改良(量産21号機)所属は岐阜の航空実験団(航空機及び搭載装備品、支援機器、電子機器、兵装等の試験・評価と、此等の基礎的な運用、研究、開発)
米軍C-130
遠隔操縦・ファイアービー・ミサイル発射実験モニター(成果等の評価)米軍は、民間機、軍用機を問わずコックピットと管制塔との交信全てを傍受するシステムを敷いて居る。
後詰
統制機
陸自機体群
特殊部隊
生存者抹殺。現場、垂直尾翼切断搬送 海上保安庁引き渡し。 JAL123撃墜ミサイルモニターしたB707(RC-135)の不時着機破壊(証拠隠滅)と残骸処分。
[匿名さん]
長野県内 北相木村 鶴マークの飛行機が、御座山上空から群馬県上野村へ
…【長野県警は、長野県北相木村の臼田営林署職員の目撃情報として、「尾翼に鶴のマークのついた飛行機が長野県から群馬県上野村へ向かって飛んでいった」と発表】
「夕方、6時45分頃南の方からジエット機2機ともう1機大きい飛行機が飛んで来たから、慌てて外へ出て見た。そうしたら神社(乙父神社)のある山の上を何周も回っていた。(中略)それからまた見ていたら、ジエット機2機は、埼玉県の方へ行って仕舞いました」【日航機墜落事故についての文集。「小さな目は見た」(上野村立上野小学校)から】
時間帯が違い先行して上野村で、周回待機して居た機体です。123便の目撃情報を撹乱し、遠隔操縦された123便(JA8119号機)を三国山の北、諏訪山の更に北側で待ち構えて居りました。此のコースでの目撃はフライトレコーダー記録コースを想起…123便を遠巻きに飛行し、偽造ボイスレコーダー作成や偽造管制官通信作成にも寄与した訳です。
誘導隊の航路
18:25茨城県百里基地離陸18:40 群馬県吾妻郡東村 (東吾妻町)ジェット戦闘機2機が合流へ南下。(目撃証言)
北方から合流したジェット戦闘機を従え南方より来た大型機(鶴丸マーク付き)は長野県 北相木村 御座山上空を飛行して行きます。
[匿名さん]
18:45 群馬県上野村上空(乙父)に達します。
【123便は遠隔操縦管理で有りファントム2機が並走飛行状態に為る事は有り得無い話です。F-4ファントムⅡ戦闘機(1985年1月から8月航空自衛隊の岐阜航空実験団F-4EJ性能向上型)も18:25緊急発進して18:33静岡県東名焼津インター付近から北上、123便追跡して行きます(目撃証言)】
上野村の待機予定の上空に進入し大型機(実際にはRC-135設備を搭載したB707)並走任務を完了したジェット戦闘機の2機(空自百里F4EJファントム戦闘機2機-第305飛行隊)は埼玉県の方に急速離脱し入間基地に着陸。
19:01再発進命令で出動。(公式記録では百里基地離陸)
18:56には、高天原山を越えて群馬県に入ったJAL123便の後方に回り込んだ、米軍B707(RC-135)が、(1)ミサイル本体、(2)発射母機(3)地上管制を含めたミサイル要撃システムの実験の為、発射観測、管制機体に為ります。
T氏親子は、事故当日の同時刻、合宿に来ていた群馬県上野村の民宿から車で引き上げる最中に…「飛んでいるのを目撃しましたよ。目の前の山の上の低い所を横切って飛んで行来ました」「飛び去った直ぐ後、ヘリコプター【陸軍UH1救難ヘリ(厚木の海兵隊ヘリが後日、米陸軍座間基地所属に】とか色んな飛行機が追い掛ける様に其処を飛んで行ったのを覚えています」と「傍に居た人が「鶴のマークだ!」と叫んで居た」と証言してます。
[匿名さん]
ファルコン系列には、「直撃」が可能なら自律的にそちらを選択する、当時としては優れたコンピューターシステムが導入され、直撃弾の不発弾頭が発見【第3エンジン突入物の写真参照。炭素繊維(CF)を基材とした破片で、ミサイル弾頭のシーカー部(先端センサー部分)外装の物証写真掲載。(※CFは強度・耐摩耗性に優れていることから、主にミサイルシーカー部使用。一方、側面にはジュラルミン等の金属使用。発見S氏に拠ると、発見現場は、第3エンジンの発見位置からは多少離れた場所との事】されたのは強力な証拠に為ります。
米軍のB707(RC-135)は、JAL123便の地上前方から発射され第3エンジンにファルコンミサイルが命中【ヒューズ社(現レイセオン社)が開発、プロトタイプの対大型機ミサイル】して出力低下し下降、レーダーから機影消失したタイミングで、上昇、レーダー上に機体を映らせ、JAL123便墜落現場から北上し18:57にレーダーから消失【57分に横田(RAPCON) が123便に対し、「貴機は横田の北西35マイル (65km) 地点におり、横田基地に最優先で着陸出来る」と呼び掛け】させて折ります。日航123便が東京管制部のレーダー上から姿を消したのは、18:57、羽田から方位308度(北を0度、時計回りに表示。西北西)60海里(約110Km)付近、高度9700フィート、速度300ノット(556Km/h)と発表。此の位置は墜落直前の位置で、実際の墜落地点の約7Km北北東に当たる。
[匿名さん]
墜落したのは民間機で事故現場の保存・検証は警察の仕事に為ります。自衛隊は、警察の指揮下で「御手伝い」「力仕事専門」に徹さなければなら無い筈。然し実際には警察が自衛隊の指揮下に。又、取材ヘリコントロールは運輸省航空局の仕事のはず。山間とは言っても取材ヘリは空に居るのだから、航空無線の周波数帯域なら出力1Wのハンディ機でも充分に管制できる。安全を期すなら5W程度のハンディに外部アンテナ(片手で持てる)を付ければいい。オペレーターは航空局職員が出張して行なうべき。百歩譲っても警察の役目。
それを全部自衛隊が行なった。取材ヘリは122.6MHzで現場上空を飛ぶ自衛隊のYS-11「トライア60」にコンタクトし、その「統制」に従い、123.1MHzで仮設ヘリポートの(自衛隊)管制官とコンタクト、着陸手順を指示され、まるで戦時体制。
取材各社は此の措置、自衛隊に依る「統制」に強く反発。抗議すると、流石の自衛隊も「統制」の法的根拠が無いものだから「統制」とは「お願い」の事です、と言う苦しい言い訳。いずれにしても最後迄「自衛隊による統制」は空中・地上を問わずに続いた。
[匿名さん]
これも胡散臭い。鶴のマークが判別できるほど低空で撃墜なんてすれば爆発音や閃光は結構なものになる。目撃者が出ないはずがない。それにプロである事故調査委員なら破片の散乱状況などから撃墜か墜落かすぐにわかる。別々の役所の管轄なのにすんなり警察が自衛隊の下についたというのも疑わしい。
[匿名さん]
陰謀論かぶれはネット遮断して孤独に頭悩ませていろ解決済みなんだよ
[匿名さん]
或る高齢の主婦と息子らしき人が畑前の家の外で、TVのインタビューに応じた。
農家主婦:『赤いプロペラのついた物体が、畑の上を飛んで行きそれがJAL123便にあたって、飛行機が爆発した』否定的な反応に、息子が注意して取り消させ、家の中に入ってしまいます。
[匿名さん]
プロペラ機の低速標的機RCAT
全長3.8m 幅4.03m 高0.79m
重量162kg 航続時間約90分、母艦艇からジャトーにより発射され、UHF、FM方式の電波でリモートコントロールされて飛行するプロペラ機。
エンジンは2サイクルの水平対向4気筒で相当にうるさい筈です。気が付かぬ訳も無く
『赤いプロペラのついた物体が、畑の上を飛んで行きそれがJAL123便にあたって、飛行機が爆発した』
[匿名希望◆MzExZWVh]
八月十二日よる、おかあさんがいないので、どうしたのかなとおもってそとにでてみると、したのおじさんたちと、どうろにでてなにかはなしていました。したのおじさんが、「あかくひかっているものがとんでいるよ。」と、いったので、わたしもみました。山にかくれたり、でたりしていました。「きみがわるいね。」と、みんなではなしました。R.K
[匿名さん]
午後七時少し前、蚕にくわをくれていたら雷のようなおとがしました。ぼくの家の下の人は、真っ赤な飛行機を見たといいました。ぼくはその時、どうして飛行機がこんな方に飛んできたのかと思いました。それも、真っ赤な飛行機。ぼくはその時、いやなことがおこらなければよいと思いました。Y.K
[匿名さん]
上野村立上野小学校。日航機墜落事故について編纂 「文集 小さな目は見た」
群馬県野栗沢地区の方向から飛んできたと思われる赤いプロペラのついた物体に衝突されまるで核爆発が起こる際の臨界に至るときのような音がし、白や赤の光を発しキノコ雲が上がる。
[匿名さん]
操縦者も操縦機能も失ったJAL123便は爆破炎上しながら、慣性の法則に従って空中をさまよい、最後は御巣鷹の尾根に激突。
山の向こう側に真っ赤なキノコ雲が立ち上がった。それは数秒で消えて2つ目のキノコ雲が現れた」川上村加藤隆志君の証言が9月7日付、毎日新聞朝刊。
[匿名さん]
三国山の向こう側の群馬県側に東京方面から低空で飛んできた飛行機が右旋回し乍ら真っ逆様に落ちて行くのが見えた。山並みに機体が消えたと思ったら、2、3秒して雲が真っ赤に染まり5、6秒して原子雲のような真っ黒な煙が上った。(川上村消防団林岩氏)
[匿名希望◆MzExZWVh]
『飛行機は南から北に向かって飛んでおり、左を下げるように旋回しながら三国山の向こう側に消えた。その途端、「ドーン」という大きな音がして、空が真っ赤に
なり、原爆のようなキノコ雲があがった』
「日航ジャンボ機墜落 朝日新聞の24時」
長野県川上村からの情報によると、三国山の陰に隠れた後、ガクンと墜落していったという情報があるものの、赤いプロペラのついた飛行物体は目撃されていないということは、長野県側から見ると死角の方角からJAL123便に衝突したのではないかと考えられます。
[匿名さん]
墜落寸前に主翼が、レの字に尾根の木を薙ぎ倒し、墜落地点に向けてダイブ(背面飛行・上昇角45°)しスゲノ沢第4支流に差し掛かった際、低速標的機が、北東からぶつかり爆発、水平尾翼が500m先の北北東に迄、吹き飛ばされてます。
[匿名さん]
再現CGで見る山への激突は180度もんどり打って背中から落ちるような結構アクロバティックなのが印象的だった。
山の斜面の森に、飛行艇が着水するようにズザザザーッとなって炎上するイメージかと思っていた。
[匿名さん]
45度くらいの角度で落ちた。真っ赤な爆発、黒い煙があがった 「日航ジャンボ機墜落」
「全くの急降下です」
「真っ逆様です」
「髪の毛が逆立つ位の感じです」
「頭の両脇の髪が後ろに引っ張られる感じ」 生存者 落合 由美氏
客室内が外気のつうつうな状況
空中で裏返しの逆の字形で真二つに裂けて割れて垂直落下。落下し木に引っ掛かる御遺体も。
後方だけ飛行中の角度(40°)を維持して真逆様でスゲノ沢の斜面に生えた樹木を薙ぎ倒しクッションになり軟着陸します。
[匿名さん]
扇平山の手前で、大きな右旋回した後に、三国山の手前で左旋回させられ、扇平山と高天原山の平行する稜線の向こう側に、急降下して消えた後、南相木村の栗生川の源流、(奥三川湖・南相木ダムは未だ出来て無い)を通過中に第4エンジンと機体中央部に命中しました。 時間帯は、18時55分28秒頃です。
南相木村の中島の住民や栗生の住民が、命中と煙を吐き左旋回して川上村の村域を通過するのを見、突然に高天原山の急角度の斜面を駆け上がる(機首39度 時速200km/h)のを川上村の梓山の住民が、目撃してます。(18時55分51秒~57頃)
[匿名さん]
U字溝は、123便(ジャンボジェット機)の背中(背面飛行)が、尾根を削り通った場所で、垂直尾翼の全体の破壊が為された実際の場所です。
垂直尾翼の破片は、U字溝の尾根の手前に散乱してました。
(事故調査委員会の公表図面参照)
[垂直尾翼]
墜落時間の変遷
墜落現場付近東大地震研究所に微小地震 3波有り
18:56:50…1秒で減衰
18:56:53…1秒で減衰
18:56:55…10秒近く尾を引く
後に事故調査委員会の時刻に合わせてます。
事故調査委員会の発表
二回変更
18:56:23 接触音
18:56:26 衝突音
18:56:28 録音停止
録音終了でなく停止は大轟音が入らぬ様に止めたのでは ?
18:56:26 衝撃音
18:56:27 衝撃音
18:56:28 録音終了
最終的に機体速度を上げた(操作)ために間隔を狭める必要性があったのでは ?
[匿名さん]
投稿に補足させて貰います。
第4エンジンはコンプレッサーに爆薬未装のミサイルが突き刺さり既に停止。
「上空700~800m付近を飛行機が旋回しながらゆっくりと降下」
背面飛行に入り左に傾いていた機体が左翼を一本唐松に引っ掛け第4エンジンは落下。
標高1,530m地点。樹齢202年。地表から14mの高さ鋭利刃物切断した様に直径30cmの太さの枝が折れる。
その直後、垂直尾翼が破壊されて、機体の背中が、地面を25メートルに渡ってえぐってダイブする。
事故報告書の図には、U字溝の尾根の手前に垂直尾翼破片
が散乱記述。
翼の先が尾根を削った訳では無い。U字溝は機体が抉る。
ダイブした直後...
機首30° 速度125ノット (230Km/h) 垂直加速度 1.8G記録終了。
[匿名さん]
反日李氏朝鮮両班CIAスパイ共産主義ヤクザ自由民主党!
CIAスパイ裕仁昭和天皇コードネームHIROHITO!
CIA日本人ファイルかCIA 有馬で調べてみろ!
[匿名さん]
18:12:16
離陸 (前後方向加速度3G)
18:12:30「東京ディパーチャー、日航123便、滑走路方位を維持しています。800フィート通過しました」
18:12:35 管制塔 日本航空123便は、180度回転した後、浦賀に向け上昇した後、1万3千フィートを維持して下さい。
* 以降 高度の指示は受けて居らず、上昇はしてません。
18:15:55.機首方位200度
(事故調査委員会報告では18:18)
詰り3962mを保持していた事になります。
これが、18:25の事故発生時の高度です。
朝日新聞8月13日夕刊JAL123航路図参照
[匿名さん]
三国山から左旋回させられ、
急降下状態に陥らされ、
機長叫ぶ
フラップ止めな…止めな(CAP)
フラップアップ、フラップアップ、
フラップアップ
頭上げろ
はい、了解しました
頭上げろ
出来ましたら、周波数を
119.7に変えて下さい(ACC)
何マイルですか?(F/E)
頭上げろ
現在位置は、横田から72マイル、横田
に着陸するか?(ACC)
ずっと前から(前の方から)ミサイル!
18:55:45
あーつ(うわー)
右外側の第4エンジンに命中粉砕される
南相木村の源流付近(現在の南相木ダム)
パワーでスピードを
コントロールしますか
パワーコントロールはいいですか?
パワーコントロールは、キャプテン(F/E)
はい
大きく左旋回して、三国山方面に向ける
川上村村内を駆け抜け
スピード 220ノット =407km/h
(DFDRでは254ノット) =470.km/h
[匿名さん]
ボイスレコーダーの分析に、第三者では無く自衛隊組織が関わっている為、自分達の知る限り怪しい匂いがするもの全ての削除が可能になったと言うより、流出したボイスレコーダー自体が、作られた偽物でしょう。
だから
> スピード 220ノット =407km/h
(DFDRでは254ノット) =470.km/h
と作られて読み上げたボイスレコーダーとDFDRでは
違うんさ。
[匿名さん]
18時59分、東京管制部に横田から情報が入った。
『米軍輸送機C130が横田の北西305度、
34マイルの位置で航空機(JAL123)が
壁落炎上しているのを確認
この情報は19時2分までにRCC中央教
雑調整所など、関係機関に伝えられた。
航空ふぉーらむ、185第27号 15頁
[匿名さん]
米空軍G-130輸送機と航空自衛隊の飛行機のパイロットが123便が飛行中に炎上しているのを見たと書いています。
田空港管制室職員の沖津さん(Okitsu Toshimune)が、炎上について調べているということが海外紙に書かれています。
カナダの新聞オタワンチスン紙 8/12版
[匿名さん]
横田着陸体制
47分06~14秒は、この時点で
実際には3分早くなって居り、
以下のように副操縦士がやり
取りした事でしょう。
18:44:06
えー、相模湖まで来てます
横田へのレーダー誘導を要求 (JAL123)
18:44:09
了解、了解 滑走路36 磁方位90度
を維持して下さい (APC)
18:44:12
了解 (JAL123)
コックピットのクルーに
安堵感が広がりますが
油断した隙にレフトターン
させられて仕舞い…
18:44:16
「あー、あああー」 (CAP)
18:44:33
「これは駄目かも分からんね」(CAP)
機長の不安を感じられます。
[匿名さん]
御巣鷹山の悲劇のサイトには、聞いた事の無い話
で、一杯です。 真相にかなり近いのか?
[匿名さん]
奥多摩で、日航機の写真を撮影した
山崎 啓一氏のネガをNHKが、東京
現像所に於いて、最新技術で、スキ
ャンして、8Kの高画質化しますと、
機体中央のオレンジの、識別灯が
鮮明になり、垂直尾翼の6割が、
破壊された状態も、はっきり
と分かります。
又、胴体と主翼に付く脚の、ボディギアと
ウィングギアが降りており、機体の安定性
を図っていた事実も判明します。
焼津市の目撃証言やこの写真の機体中央の
オレンジを、自衛隊の模擬弾とする人達の
発言も消える筈です。
因みに自衛隊の模擬弾訓練は、標的機訓練
(8/12)の翌日になります。
[匿名さん]
JNNの電話取材に応じた、川上村の
消防団団長の林 岩氏の証言。
「三国山の向こう側の、群馬県側に
東京方面から、低空で飛んできた
飛行機が、右旋回し、(更に左旋回)
45度の角度で(稜線の向こう側に)
落ち」て行きました。
1985年8月27日発表の中間報告
18:55:19 「頭上げろ」
18:55:25「頭上げろ、ずっと前から」
(CAP)
低空にリモートコントロールされます。
「飛行機の後から、流れ星の様な
ものが近くに飛んで行く」
南相木村中島3人の住民の証言
[匿名さん]
18:55:27 「うわーっ」(3人)
第4エンジンに、アーチ状の
部品が、取付されています。
福岡から17:12に到着した366便
に既に取付されており、前日に
済んでいると思われます。
123便として、出発前に
アーチ状の部品の点検と
整備した可能性が在ります。
整備情報が出てます。
誘導弾の頭脳に形状認識させて、
第4エンジンを狙わせたに違いありません。
光ファイバー画像解析装置を搭載、
光学センサーで識別し、最適攻撃
手段を選択出来る当時の最先端技術です。
[匿名さん]
御巣鷹山からの誘導弾が、
第4エンジンに命中。
南相木村の源流(南相木ダム)に於いて
18:55:27 第4エンジンに誘導弾
命中の木っ端微塵状態になります。
前後方向加速度0.25G
前向き外力60tが発生
「飛行機は、異常に低く飛んで
北相木村方面に向かった後、
ドーンと言う音とキノコ雲
が見えた」
[匿名さん]
墜落現場からR5ドアが無傷(窓硝子は破損)で発見
され、実際にドアには異常が無く、窓は壊れていました。
実は、墜落の衝撃以前からです。
パ-ンという、かなり大きなテレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音がして、同時に、酸素マスクが自動的に落ちて来ました。
三重の窓硝子の破損は、垂直尾翼の破損からボディの歪みの力が、窓枠に達し、瞬間的な急減圧で客室内は、白い霧のようなものが出ました。かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどでしたが、数秒で消えました。
白い霧が流れるような空気の流れは感じず、
すっと消えた、 生存者落合 由美氏
という具合です。
垂直尾翼の破壊の説明が出来無いから、
遠避けられたようです。
[匿名さん]
パーンという音から、10分くらいして、酸素マスクをはずしてみても、苦しさは感じませんでした。ただ、ほとんどのお客様がマスクをしていました。
座席48D。真ん中の4席の左端の、村上 良平氏遺書
は、18•45
「機体は水平で安定して、酸素が少ない
気分が悪るい機内より頑張ろうの声がする」
事故から、20分経つと減圧により気分が悪く
なる人が、増えています。
松本 圭市氏遺書
「突然 ドカンといってマスクがおりた」(18:24)
「ドカンといて降下はじめる」(18:25) *原文ママ
[匿名さん]