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2022/11/25 14:54
爆サイ.com 南部九州版

🛎️ 男子プロレスラー





NO.689326

剛 竜馬
お亡くなりになられたようです…
報告閲覧数166レス数48

#12009/10/18 17:25
ビデオのお仕事は某垂直落下インディ転落団体が引き継ぎます
安らかにおやすみください

[匿名さん]

#22009/10/18 18:15
ショアー—ー—ー—ー—ー—ー—ー—ー—ー—ー—ー—ー—ー—ー—ー—ーッ

合掌…

[匿名さん]

#32009/10/18 18:22
三沢の死よりショックだわ
次は、勝ちブックおじさんかな

[匿名さん]

#42009/10/18 18:46
たしかに三沢よりショックが大きいな…

もうプロレスも終わりだな…

[匿名さん]

#52009/10/18 19:15
前田と並ぶリン魂の準レギュラー

[匿名さん]

#62009/10/18 20:51
プロレスバカよ永遠なれ

[匿名さん]

#72009/10/18 21:00
えっ、まじですか?いつ?どうして?教えてください。

[匿名さん]

#82009/10/18 21:24
>>7
18日未明に神奈川県内の病院にて病死

死因は肝硬変からの敗血症だとか…

[匿名さん]

#92009/10/18 21:40
教えていただきありがとうございました。プロレス馬鹿好きでした。ご冥福をお祈り致します。

[匿名さん]

#102009/10/18 22:32
酒好きなのですね…
ご冥福お祈りします

[匿名さん]

#112009/10/19 17:42
さみしいな…
合掌

[匿名さん]

#122009/10/19 18:13
この人の晩年ゎひったりやホモ出演でプロレスの枠を超えて馬鹿でしたょね…

[HBK]

#132009/10/19 22:22
↑>ひったりって何?wwwwwwwwww

[匿名さん]

#142009/10/19 23:30
馬鹿ですから許してやってください

[匿名さん]

#152009/11/07 16:43
ショワア

[匿名さん]

#162009/11/20 07:52
2003年1月15日JR西新宿の自動販発券機の前でプロレスラー剛竜馬は

路上に落ちている小さな財布を見つけました。

誰れのものか知らん、とその財布を剛が拾って手に取ってみたときでございます。


傍で「ドロボー」と叫ぶ老婆の声がしました。

置ちていた財布はその老婆が落したもののようでした。

突然ドロボーとはこれいかに、あわてて剛が拾った財布を

老婆に返そうとした、その時でございます。


二人の若い会社員と思われる青年が剛の首と足に組みついてきました。

剛は185センチ、体重100キロを越す偉状夫でございます。


しかし外見とは違って長いプロレスラー生活で剛の体は

あちらこちらが傷んでいました。両膝も完全にイカれていました。

ようやく一歩一歩踏みしめて歩くのがやっと、のいわば障害者の体の状態でした。

正義漢に燃えた青年のタックルにあって、剛はその場にあえなく

くずれ落ちました。


ほどなく駅員や警察官がかけつけることとなり

「ひったくり」の容疑をかけられてその場で御用となり、

警察の留置場にブチ込まれる破目となったのでありました。

[匿名さん]

#172009/11/20 07:53
翌日の東スポの一面で「剛竜馬、老婆から財布をひったくり逮捕される」と、

デカデカと報道されました。

しかし警察の取り調べ室で剛はかけられた「ひったくり」の容疑を

ガンとして否定し、決して認めることはありませんでした。


拘留はこの種の犯罪では異例の188日間の長期に及びました。

取り調べの結果は不起訴処分となっての保釈となりました。

が「無事、無罪」となって釈放された剛でしたが、

そのとき、剛は全を失っていたのでありました。


かけがえのない家庭を失っていました。

剛には二女一男の子供がいましたが、下の男の子は当時はまだ小学生でした。

離婚は子供たちが学校でイジメにあっては可哀そうだから、

と獄中の剛から言い出し、取り調べ室で妻から届けられた離婚届けに

判を押したのでした。


仕事も失っていました。

以前から全身満身創痍の体となって、満足の動きがままならなくなっていた

剛のもとへのプロレス興行の誘いはめっきり少なくなっていました。

でも一年のうちのわずかな回数でしたがリングに上がることがありました。

古いプロレス仲間や彼を兄貴分や師匠と慕うプロレスラーからの

「誘い」によるものでした。

それもあの逮捕拘留事件以後パッタリと無くなりました。

[匿名さん]

#182009/11/20 07:54
剛はもう一つの仕事も無くしていました。

逮捕時に「元プロレスラー、派遣社員」として剛の肩書きが

マスコミ紙上で紹介されましたが、剛はプロレスラーとして

年に一、二度リングに上がるとき以外は、知り合いに紹介された

ダンボール工場で派遣社員として働いていました。


体が大きく目立ってはプライドも傷つくこともあるだろう、

との会社側の配慮があって勤務はもっぱら夜間シフトで働いていました。

作業の内容はおもに工場内の床の上の清掃でした。

膝を痛めている剛は重い荷物を持つ作業はできませんでした。

「お情け」で雇ってもらい掃除の仕事に汗を流していたのでございます。


その「お情け」の仕事も、

あの事件あってバッサリと切られることとなって

「無職」となりました。


剛は厚木の家賃4万円足らずの古ぼけたアパートで一人生活をしながら、

知り合いの所を訪れては仕事の斡旋を頼む日々を送りました。


食うのにも困り果てて親しい人たちにわずか千円の金を

無心するとこも度々でした。そしてたまにプロレスの仕事があって

数万円の金が入ると、あと先の生活のことなど考えることのない風に

酒をあびるほど飲み酔いつぶれた姿を見せるのでした。


そんな自堕落な剛に辟易して親しかった友達も一人去り二人去りして

晩年、剛と連絡をとるのはほんの限られた人間だけとなっていました。

剛が死ぬ数日前、何人かのレスラー仲間や友達のところへ

剛からのメールが届いていましたが誰れも剛に返信を返すものはいませんでした。

[匿名さん]

#192009/11/20 07:55
2009年10月15日夜、連絡がないことを心配した長女がアパートを訪れ、

部屋の中で倒れている剛を発見しました。

救急車で病院に運ばれ手当てを受けましたが、

3日後の10月18日、剛は敗血症のため永眠しました。享年53。


剛は神戸で生まれました。母子家庭の極貧の暮しで苦労する母や妹たちに

楽をさせてやりたい、できれば妹たちには高校や大学まで行かせてやりたい一心で、

剛は中学卒業を待たずに上京し弱冠14歳でプロレスラーとなりました。


剛竜馬のプロレスラーとしての絶頂期は二度ありました。

1987年、遠征していたヨーロッパから急拠呼び戻され

藤波が保持するWWWFのジュニア選手権王者に挑戦した頃、

でございます。


その人気はプロレスの世界を超えたものとなり、

テレビ朝日系列の刑事モノドラマに菅原文太、鶴田浩二、梅宮辰夫の

豪華スターたちとともに刑事役で競演を果たしております。


二度目の絶頂期は1995年4月2日プロレスの世界では初めての試みとなった

週間プロレスの発刊元ベースボールマガジンが主催する東京ドームでの

オールスター興行でした。


その試合の第4試合に登場した剛は6万人の満員の大観衆に

剛のプロレスのスタイルである「ショア!」の大歓声で迎えられました。

試合後「バカ、バカ」の大コールをもって大観衆は剛のリング上での

みごとな闘いぶりを讃えました。


「バカ、バカ」とはその頃の剛のキャッチフレーズとなっていた

「プロレスバカ」から剛の「愛称」でした。

[匿名さん]

#202009/11/20 07:56
幾多の毀誉応変に色将られたプロレスラーとしての剛の人生でしたが、

その分水嶺となったのはまごうことなくあのJR西新宿駅での

「一件」でした。


それは運に見果なされた人間がたどる、約束されたかのような

「悲劇」の瞬間でした。しかしあの場面で剛がプライドを捨て

「真実」を話すことができえたなら、

決して逮捕されることはなかった筈でございます。


その「真実」とは剛が隠していたプロレスの試合からうけた「胸の損傷」

のことでした。剛はその「胸の損傷」ゆえに、突然、右手が勝手に

オーケストラの指揮者がタクトを振るような動きをすることにみまわれる

ことがあるのでした。


中風患者のように手が勝ってに動く、などとファンに知られることになったのでは

リングに上がることが出来なくなる、そのことを剛は恐れていました。

客観的には傷つき衰えた剛には二度とプロレスラーとしての栄光のとき、

はやって来ることはないであろうことは明らかでした。


なのに剛は、本心からもう一度、あの東京ドームで満員の大観衆から

「バカ」コールを浴びる日が来ることを夢見ているのでした。

「プロレスバカ」そのものでした。


警察に連行されて行ったあのとき、老婆の財布を拾い上げて、

あと手が奪うように大きく振って動いたのは既往症であった

「胸の損傷」からきていることを警察官に訴えれば

展開は大きく違っていたはずでございます。


目撃者として剛に飛びかかった青年の

「剛が財布を右手に持って奪うように大きく頭の上手振ったから、

老婆から財布を強奪したと思った」

との証言がなされていたのでございます。


なに由に拾った財布を頭上で大きく振りかざすに至ったか、

診断を受けていた病院のカルテや先生の証言を求めれば、

嫌疑が晴れることとなるのは明きらかでした。


しかし剛は警察での取り調べ室で、自からの既往症について

一切語ることはありませんでした。剛の古くからの知人で、

剛のその既往症の症状を良く知る男が、警察に面会に行って

その真実を話すように、とうながしました。


しかし剛は

「そんな病気があることを知られたら、ファンに見放され金輪際

リングに上がれなくなる」

と断固として知人の進言を聞き入れませんでした。


剛のプロレスラーとしてのプライドと夢が、剛のプロレスラーとしての未来を

粉々に砕いたのでございます。

[匿名さん]

#212009/11/20 07:57
剛はスポーツマンらしく、弁解じみたことを言うことが嫌いな男でした。

「ひったくり」報道がされたとき、その2年前に数本出演していた

ホモビデオが同時に「暴露」されました。


生活のために、ということもありましたが、当時金を借りていた

二丁目のバーのマスターから借金返済をせまられて、

やむなくその借金返済払いのために出演したという事情がありました。


しかし記者の質問にはそうしたことには触れず

「自分の体で稼ぐことのどこが悪いのか」

と泰然白若としていました。


また剛は自身が中学中退という学歴でありましたが、本を読むのが大好きでした。

司馬遼太郎、松本清張の本はすべて読破していました。

生まれ変わったら何にになりたいですか、ときかれると臆することなく

「小説家」と答えていました。

伊集院静が好きで一度氏と食事を一緒にしたときに撮った写真を、

剛はいつも胸ポケットに忍ばせ、ことあるごとには人に見せて自慢していました。


剛の生活のあまりの困窮ぶりに、見かねた知人が「生活保護」を受けるように

進言したことがありました。

手続きは全部こちらでやってあげるから心配ない、と。


しかし剛は頑として知人の進言を聞き入れることをしませんでした。

「生活保護を受けたら、俺はリングに上がれなくなってしまう、

そしたら最後だ。それだけは出来ない。俺が俺でなくなる」と。

座ったソファーから一人では立ち上がることができなくなってしまっている

体となっていながら、でございました。


剛は極貧の生活のなかでも決してプロレスラーとしての「誇り」を

最後まで失わなかった男であった、といっていいと思います。

剛は全身傷だらけで、満足に歩行することのできない満身創痍の身となっても

いつか必ずもう一度、あのリングの上に上がってスポットライトを浴びる夢を

捨てることなくもがき続けて生きたのでした。

極貧のうちに一人淋しく生涯を閉じた

「バカが誉めことばだった男」の物語りでございます。


まさしく「プロレスバカ」の人生を生きた男ありき、でございました。


死してようやく心から愛した家族のもとに帰ることができ、

高校生となった息子に抱かれた剛の遺影は、

一世を風靡した絶頂期のファイティングポーズのものでした。


やせ細った亡きがらと久しぶりの再会を果たした元妻は

「剛はようやく死ぬことができて、幸福だったと思います」

と葬儀に参列した古くからの知人たちに静かに語りました。


彼女のほほを濡らした一筋の涙が、

剛の永遠の安らぎを約束してくれていました。

合掌。

[匿名さん]

#222009/11/26 00:39
剛さんって全日本に少しいたよね。ラッシャー木村と鶴見五朗と組んでいた感じがしましたが…全日本に残れれば良かったですね!

[匿名さん]

#232009/11/26 17:41
残っていれば…小橋の極太兄貴に

[匿名さん]

#242009/11/26 21:23
>>23腐ってんな。携帯を見ながら泣いたのは生まれて初めてだ。ハンサム殺し屋…パイオニア魂…忘れないマスコミを鵜呑みにしてた

[匿名さん]

#252009/11/27 14:07
>>24さんゎホモなのかな

[HBK親衛隊]

#262009/11/27 23:19
藤波との対決がよかった

[匿名さん]

#272009/11/28 07:24
ちなみに上に張り付けた長文は村西とおるのサイトのコピーですよ

[匿名さん]

#282009/12/07 01:20
みんなそんなもんだ

[匿名さん]

#292010/10/02 01:35
ラッシャーの追悼DVDの六人タッグに登場。

最後は石川のサソリに敗れるも、まさに最高のメリハリぶり。

[匿名さん]

#302010/10/10 19:17
>>21シャアー

[HBK]

#312010/10/10 20:33
東京ドームでの雄姿を見たい!

[匿名さん]

#322011/03/07 13:25
『ヒロ・マツダ』にコーチングされたから、試合内容やテクニックは優れていたのでは!! … やっぱりベストマッチは大阪でベルトを奪取した『藤波戦』だネェ! また『ジェシー・バー』とのタッグもマニアには嬉しかった!!

[マドリル]

#332011/03/07 13:42
残念ながら、その時は手違いで現場にベルトは無しと。

[匿名さん]

#342011/04/30 19:04
極太親父 ごくぶとおやじ ゴクブトオヤジ GOKUBUTOOYAJI 極太親父 ごくぶとおやじ ゴクブトオヤジ GOKUBUTOOYAJI 極太オヤジ ごくぶと親父 ゴクブトおやじ

[匿名さん]

#352011/04/30 22:44
鶴見と組んでのアジアタッグ王者も見たかった。

[匿名さん]

#362011/09/05 17:08
自殺だよな

[匿名さん]

#372020/11/22 09:12
妻達のプロレスを読んだ。
ターザンは故人をまだ生きている己の位置まで貶めた。
ターザンは人間ではないと思う。
剛に一万返しやがれ。

[匿名さん]

#382020/11/29 12:21
良い人そう。律儀な人なんだろうな。

[匿名さん]

#392020/12/04 10:17
プロレス馬鹿

[匿名さん]

#402021/02/28 09:33
1995・4・2「夢の懸け橋」童夢春爛漫 東京ドーム大会でプロレス・バカの剛人気が爆発

[匿名さん]

#412021/05/29 03:41
全盛期の新日本プロレスのリングサイドのセコンドの一員でいつもTV中継に写っていたイメージ
あの頃は前座の中堅レスラー位置に落ち着いてた

[匿名さん]

#422021/05/29 07:32
世界最強タッグに乱入した時が一番興奮した

[匿名さん]

#432021/09/11 06:55
ジュニアで藤波に挑戦した頃はかっこよかったし、実力も拮抗してた
新日本に来た時点で藤波の噛ませ犬になったのは仕方ないか

剛、S小林の新日での扱いの末路を見て
M井上、原は国際倒産後新日リングに上がるのを断固拒否したんだろうな

[匿名さん]

#442021/12/05 19:33
昔からM井上のA猪木&新日嫌いは徹底してる 実際に猪木と会って話しした事は無いらしいが

[匿名さん]

#452022/02/20 12:39
八木宏

[匿名さん]

#462022/02/20 12:41
ショア ショア ショア

[匿名さん]

#472022/02/20 12:46
2009年10月18日、53歳没か

[匿名さん]

#482022/11/25 14:54最新レス
純粋で男前で好青年だったのに・・
最後の死に様が残念です

[匿名さん]


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