工藤会最大の2次団体が20人弱に 実動組員9割減 壊滅作戦まもなく4年
2018年09月09日06時00分 (更新 09月09日 06時18分)
特定危険指定暴力団工藤会(北九州市)トップの総裁、野村悟被告(71)=殺人罪などで起訴=の出身母体「田中組」の実動組員数が、福岡県警による摘発や離脱で20人弱に減ったことが複数の関係者への取材で分かった。ピーク時は2次団体最多の約150人の組員がいた。県警の工藤会壊滅作戦が2014年9月11日に始まって間もなく4年。一定の効果を上げている。
県警によると、田中組は北九州市小倉北区に本部を置き、会のナンバー2で会長の田上不美夫被告(62)=殺人罪などで起訴=も出身。11年に組長の菊地敬吾被告(46)=組織犯罪処罰法違反などの罪で起訴=がナンバー3の理事長に就き、田中組による工藤会への影響力が高まった。
昨年2月に福岡地裁であった公判に検察側証人として出廷した会の元事務局長は13〜14年ごろ、会の15%前後に当たる140〜150人が田中組組員だったと証言した。
県警は、会の指揮命令系統にくさびを打とうと、集中的に田中組を摘発。14年9、10月には女性看護師を刺傷したとして組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)容疑で、野村被告や主要幹部ら16人を逮捕した。
トップ不在が4年となり、一連の事件の公判も終わる見通しが立たない中、会の統制は緩み始めているという。12年施行の改正暴力団対策法で「みかじめ料」などの資金源が断たれたことも、組員離脱に拍車を掛けているとみられる。
県警によると、工藤会の組員数が最も多かったのは08年で1210人。14年9月11日に野村被告らを逮捕した壊滅作戦の着手を機に離脱が進み、17年末には610人と半減した。
統制緩み組抜け続出 細る資金力「やってられない」 工藤会壊滅作戦4年
=2018/09/09付 西日本新聞朝刊=
2018年09月09日06時00分 (更新 09月09日 06時18分)
特定危険指定暴力団工藤会(北九州市)トップの総裁、野村悟被告(71)=殺人罪などで起訴=の出身母体「田中組」の実動組員数が、福岡県警による摘発や離脱で20人弱に減ったことが複数の関係者への取材で分かった。ピーク時は2次団体最多の約150人の組員がいた。県警の工藤会壊滅作戦が2014年9月11日に始まって間もなく4年。一定の効果を上げている。
県警によると、田中組は北九州市小倉北区に本部を置き、会のナンバー2で会長の田上不美夫被告(62)=殺人罪などで起訴=も出身。11年に組長の菊地敬吾被告(46)=組織犯罪処罰法違反などの罪で起訴=がナンバー3の理事長に就き、田中組による工藤会への影響力が高まった。
昨年2月に福岡地裁であった公判に検察側証人として出廷した会の元事務局長は13〜14年ごろ、会の15%前後に当たる140〜150人が田中組組員だったと証言した。
県警は、会の指揮命令系統にくさびを打とうと、集中的に田中組を摘発。14年9、10月には女性看護師を刺傷したとして組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)容疑で、野村被告や主要幹部ら16人を逮捕した。
トップ不在が4年となり、一連の事件の公判も終わる見通しが立たない中、会の統制は緩み始めているという。12年施行の改正暴力団対策法で「みかじめ料」などの資金源が断たれたことも、組員離脱に拍車を掛けているとみられる。
県警によると、工藤会の組員数が最も多かったのは08年で1210人。14年9月11日に野村被告らを逮捕した壊滅作戦の着手を機に離脱が進み、17年末には610人と半減した。
統制緩み組抜け続出 細る資金力「やってられない」 工藤会壊滅作戦4年
=2018/09/09付 西日本新聞朝刊=