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最高裁昭和61・2・27判決原審より
二 原審は(一) パトカー乗務の警察官としては、交通法規違反者の追跡に当た
つては、追跡行為により被追跡車両が暴走するなどして交通事故をひき起こす具体
的危険があり、かつ、これを予見できる場合には、追跡行為を中止するなどして交
通事故を未然に防止すべき注意義務があるところ、(二) 本件においては、加害車
両の運転速度及び逃走態様、道路交通状況に照らすと、本件パトカーが追跡を続行
したならば、加害車両の暴走により通過する道路付近の一般人の生命、身体等に重
大な損害を生ぜしめる具体的危険が存し、また、D巡査らも右危険を予見できたも
のというべきであり、しかも、追跡を続行しなくても交通検問その他の捜査により
これを検挙することも十分可能であつたから、D巡査らとしては、追跡を中止する
などの措置をとつて第三者の損害の発生を防止すべき注意義務があつたのに、これ
を怠り、高速度かつ至近距離で追跡を続行するという過失を犯したものであり、(
三) 右追跡行為は、第三者の生命、身体に対し危害を加える可能性が高く、他の
取締方法が考えられるから、被上告人らに負わせた傷害の重大性に鑑み、被上告人
らに対する関係では違法性を阻却されないと判断して、被上告人らの各請求の一部
を認容した。
過失が認められるということは、追跡行為の規定上の違法性を論ずるまでもなく、第三者への法益侵を認めるということになり、それは違法性が認められているということである。
これを過失責任主義という。
国賠法第1条1項は過失責任主義に基づいているため、追跡行為の違法性を論ずるまでもなく過失を認めた時点で違法である。
つまり、警察が不審車両を見つけた場合に追跡をして良いという法律の一文は、第三者への法益侵を十分に予測並びに回避した上でなければ行えないという、別の法律によって見事に規制されている。
この法律の妙を無視し、加害者の追跡行為の行為不法論だけを切り取ったところでそれは法律を論じていることにはならない。