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2023/06/09 19:08
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NO.10235497

ディック・ザ・ブルーザー
あの馬場もトラウマになった“生傷男”の戦慄
報告閲覧数482レス数128

#792020/01/22 14:07
通はディツク・ハットンを推す

[匿名さん]

#802020/01/25 16:19
ディック・ハットンがNWA世界王者になったら、強いけど試合が地味でつまらなくて観客動員が激減
幾らも経たないうちにプロモーターの意向で再びテーズに王座移動させられたような

[匿名さん]

#812020/01/25 16:25
ルーテーズは技術は勿論、何よりも身体能力が素晴らしい。

まさに理想的な肉体、理想的なレスラー。

[匿名さん]

#822020/03/27 16:15
>>33
昭和40(1965)年11月24日大阪府立体育会館、インター王座決定戦
馬場はブルーザーに2-0で勝ったが2本続けて反則勝ち、インターベルトを獲得したが
本気で殴り蹴り踏みつけてくるブルーザーに若い馬場は屈辱的にコテンパンにやられた

[匿名さん]

#832020/08/15 01:04
クラッシャーリソワスキー

[匿名さん]

#842020/08/16 14:00
フレッド ブラッシーがライバル

[匿名さん]

#852021/01/17 14:38
凶器がメリケンサック

[匿名さん]

#862021/01/17 22:22
>>67

電話帳なんてコツさえわかれば素人でも破れる

[匿名さん]

#872021/01/18 10:46
>>86
空手の瓦割りも一緒でコツを掴めば実は掌で軽く押すだけで数十枚の瓦も簡単に割れるんですよね。あっ!?関係ないですね!! すいません

[匿名さん]

#882021/06/10 23:37
大昔に徳光和夫アナがインタビューでマイクを齧られて辟易?!

[匿名さん]

#892021/06/12 11:03
生傷男

[匿名さん]

#902021/06/23 09:57
若い頃はプロレス史上最高に格好良かったと言える
ザレスラー

[匿名さん]

#912021/06/25 00:00
本当に強いのかな?
体はそんなに大きく無いし硬い筋肉で身体能力も低くプロレスも下手くそ。
迫力も無い
所詮ショーマンレスラー

[匿名さん]

#922021/06/25 06:38
死人スレ

[匿名さん]

#932021/06/25 07:01
1985年に引退。1991年11月10日、食道の血管破裂により死去。62歳没。

[匿名さん]

#942021/06/25 07:07
■来日回数:8回
■参加シリーズ:
昭40 11(日)インター選手権シリーズ
 41 11(日) ウィンター・S
 43 2(日) 【特】ダイナミック・S
 44 8(日)【特】 第二次サマー・S
 47 10(国) 【特】ビッグ・ウインター・S
 50 4(全)【特】第3回チャンピオン・カーニバル
 51 1(全)【特】新春ジャイアント・S
 55 2(国) 【特】スーパー・ファイト・S

大物扱いで毎回1週間程度の特別参加だった

[匿名さん]

#952021/06/25 17:14
ビール大好き🍺🍻

[匿名さん]

#962021/06/25 19:56
元酒場の用心棒w

[匿名さん]

#972021/07/19 05:47
本当は弱かった人。所詮プロレスラー

[匿名さん]

#982021/07/19 07:27
往年の名レスラーで最もケンカが強かったのは誰か。この話になると必ず名前が挙がるのが、1960年代に一世を風靡した“生傷男”ディック・ザ・ブルーザーである。

 見るからに頑丈でゴツいヤンキー(注・本来の意味で)の典型で、試合は殴る蹴るのラフファイトオンリー。豪快なエピソードも多い。大学フットボールで有望視されながらも素行不良により7校を退学処分。NFLでもラフプレーが過ぎて即解雇に。プロレス入り後も会場で観客や警官と大ゲンカ…常識外れのラフファイトが原因で57年には当時のWWWF(現WWE)からMS・G出場禁止処分を受けた。ただし素顔は人種差別を憎む紳士だったようだ。

[匿名さん]

#992021/07/19 07:36
>>88
それはクラッシャー・リソワスキーの方 
馬場vsリソワスキーのインター選手権試合の後

[匿名さん]

#1002021/07/19 09:22
本当は弱かった人
胸板は厚いが背は低く手足は短くずんぐりむっくりの体型

身体も硬く身体能力も高くはない

プロレスラーになる前はアメフトの名選手だったとか言われているが多分ウソ。

所詮プロレス、プロレスラー

[匿名さん]

#1012021/07/19 10:28
>>67


電話帳は コツつかめば誰でも破けるよ

[匿名さん]

#1022021/07/19 19:07
ジャイアント馬場とは何度も激闘を展開したが「ブルーザーと聞くだけで背筋がピンとした。あの男は本当にすごかった」と生前に語っていた。209センチの大きな体にもトラウマが残っていたようで、後にブルーザー・ブロディの初来日が決まった時は「なにっ、ブルーザーだって?」と一瞬、身構えたという。

 そんな“伝説の男”が初来日したのは65年11月23日。当然、日本中が大騒ぎとなった。

 来日当日の東スポ1面でも「180センチを誇る大胸筋、腕の太さは64センチで洋服の上からでもプリプリとしている。体の傷はいくつかと聞くと『1試合で100もついたことがある。200か300はあるだろう』と不敵な答えが返ってきた。額には新しいものから古いものまで20、30は傷痕が走っていた」とかなり劇画チックに報じている。

 東スポは来日2週間前から「馬場を襲う生傷男~世界一の無法者を解剖する」というとんでもないタイトルの連載を開始している。情報が圧倒的に少なかった時代、ブルーザーのようなキャラクターを持つ選手は最高の“素材”だったのだ。

 ブルーザーは力道山の没後、空位となっていたインターナショナルヘビー級王座決定戦(同年11月24日、大阪府立体育会館)を馬場と争うために来日。インタビューでは「得意技はパンチ、キック、かきむしり、かみつき、そのほかあらゆるラフプレーだ。プロフットボールで暴れすぎて追放されたが、俺のラフさを生かすのはプロレス以外にない。だからこの道に入った。ワイフ? 5回結婚したが今はいない。趣味はビールと女だ」と、とても32歳とは思えない豪快な応対に徹している。プロ中のプロだ…。

 3本勝負の決定戦は馬場がいずれも反則勝ちの2―0で新王者となったが、内容は得意のアトミック・ボムズ・アウェー(原爆落とし=ダイビングフットスタンプ)や徹底したラフファイトで、生傷男が圧倒した感が強かった。同27日蔵前国技館のリマッチも馬場は辛勝している。

[匿名さん]

#1032021/07/19 19:08
 69年8月11日札幌では“粉砕者”の異名を取ったケンカ屋、クラッシャー・リソワスキーとのタッグで馬場、アントニオ猪木組のBI砲を破り、インターナショナルタッグ王座を獲得。日本のファンに衝撃を与えた。その後は全日本、国際などにも参戦した。

 今でもブルーザーを最強外国人に推すオールドファンは多いが、来日回数はわずか7回のみだった。いかに“生傷男”のインパクトが強烈だったかが分かる。80年代に“不沈艦”スタン・ハンセンが登場した際、同様のインパクトを感じた人も多いのではないか。永遠に語り継がれる名悪党である。(敬称略)

[匿名さん]

#1042021/07/19 20:40
実際の実力はどうだったの?

[匿名さん]

#1052021/07/19 21:47
弱いよ。プロレスは下手。何でこんな奴が売れたのか分からん

[匿名さん]

#1062021/07/21 16:15
 学生時代はフットボールの名プレーヤーとして鳴らしたが、喧嘩が原因で多くの大学から放校処分を受けた札付きの暴れん坊。ビル・ロンソンにスカウトされてプロレス入りし、クラッシャー・リソワスキーのいとことを名乗り、NY地区で暴れるが、暴れすぎてNY地区を追放処分となる。
 その後はロスのWWAでボブ・エリスとの抗争で名を挙げ、AWAに転戦後もクラッシャーとのコンビで暴れまくった。インディアナポリスでは、ウイルバー・スナイダーとWWAを旗上げしている。
 日本ではジャイアント馬場との試合で体育館の床を蹴破り、床板を凶器にして馬場に殴り掛かったという型破りの暴れっぷりで有名。昭和55年に国際プロレスに来日した時にはかなり衰えていた。1991年練習中に動脈破裂で急死。

[匿名さん]

#1072021/07/21 16:23
1968年2月26日の大阪府立体育会館でハーリー・レイスと組んで
馬場・猪木のインターナショナルタッグ選手権に挑戦するも2-1で敗れる

[匿名さん]

#1082021/09/05 11:56
若いころのブルーザーは格好良かった
プロレスラーの教科書的存在

[匿名さん]

#1092021/09/05 15:10
所詮プロレスラー

[匿名さん]

#1102021/09/05 17:17
NWAセントルイス地区では1978年7月14日にディック・マードックからNWAミズーリ・ヘビー級王座を奪取。
AWAではニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座に再三挑戦し、
本拠地のWWAでは1979年から1980年にかけて、同じく「ブルーザー」をリングネームとしていたキングコング・ブロディとWWA世界ヘビー級王座を賭けた抗争を展開した。

[匿名さん]

#1112022/03/17 20:46
生傷男

[匿名さん]

#1122022/06/02 17:18
>>86
かもしれないがあの二人は破った時の表情とか迫力が凄かったんだよ
あれはプロの成せる技
そこら辺の素人には真似できないよ

[匿名さん]

#1132023/05/25 17:49
試合後も元気いっぱいに暴れて俺はまだまだやれるぞといった態度で退場していった
終わるとトボトボ退場していく他のレスラくーとは一線を画していた
プロ意識の高いプロ中のプロでしたよ

[匿名さん]

#1142023/05/25 18:34
>>86には破れない

[匿名さん]

#1152023/05/26 12:17
晩年に日本に来た時は馬場と鶴田を圧倒してたな。

[匿名さん]

#1162023/05/26 13:02
凶器使用するクラッシャー・リソワスキーの方がおっかなかった

[匿名さん]

#1172023/05/26 13:33
>>116
フリッツと3人なら強かった順位はどれに
なりますか?

[匿名さん]

#1182023/05/26 13:34
国際にも強いレスラーあがりましたね。

[匿名さん]

#1192023/05/26 13:50
マードドック・バージョンにイワンシラクも
入れたら強い順位はどれになるかな?

[匿名さん]

#1202023/05/26 19:30
最晩年に地元でブロディと抗争を繰り広げたけど辛かっただろな、全盛期に闘わせたかった。

[匿名さん]

#1212023/05/26 20:03
力道山が生前
「あの野郎を日本へ呼んで、野郎の分厚い胸板に思い切り
空手チョップを叩きこんでみたい」と熱望した悪の大スター

[匿名さん]

#1222023/05/27 21:47
ブルーザーの葉巻をくわえた、いかつい有名な写真は迫力満点。
若き日のジャイアント馬場に「ヘイ、坊や~」なんて挑発したのは、ブルーザーぐらいなもん。

[匿名さん]

#1232023/06/03 23:26
格好良さと風格
両方を兼ね備えた唯一無二なレスラーでした

[匿名さん]

#1242023/06/04 06:58
ブルーザーと鉄の爪エリックの金網デスなんて絶対見たい。

[匿名さん]

#1252023/06/04 19:23
国際プロレス時代に小林と草津組がブルーザー、リソワスキー組と金網デスマッチで対戦したがよく対抗できたな。

[匿名さん]

#1262023/06/04 20:45
徳光さんのマイクに噛みついた?

[匿名さん]

#1272023/06/09 12:19
全盛期にアンドレかボックと対戦してほしかった。

[匿名さん]

#1282023/06/09 19:08最新レス
相棒のクラッシャーリスワスキーと、お互いの体を殴り合って・・それがトレーニングに成っていたという
どこまで本当か分からない伝説が付くぐらい、迫力、悪役としての風格が有った。

[匿名さん]


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