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平忠盛の三男で清盛の弟、平経盛は元暦2年(1185年)3月、壇ノ浦の戦いに敗れ弟の教盛とともに入水して果てたと言われていますが、播磨の国の西端、相生の入り江に上陸、人目を避けて上郡町の小野豆に隠れ住んでいたという伝説があります。
人の気配が無いような川の上流からナスのヘタが流れてきたのを源氏の追っ手に発見され、経盛はジャンジャン穴と呼ばれる洞窟に潜んでいるところを発見され自害したと伝えられています。
経盛の死後、家来たちは小野豆で一番見晴らしのよい場所に墓を建て(これが平家塚)、その後、経盛の法名真勝院を取って真勝寺という寺を建立したという話があります。