御言葉を美しい、美しくないと分ける事が赦されると思っているのか?
お前ら、何様だ?
[匿名さん]
私は女が人の上に立ったり人にもの
を教えたりするのを絶対に許さない
女は家で静かにしているべきである
テモテへの手紙
[匿名さん]
健康、財産、身体、仕事、精神、そして時間も同じように主のために用いるべきものです。「どれだけ神に献げるべきか」は、明確 私たちも自分自身をささげるべきです。10分の1ではなく、10分の10(自分自身)です。
何も考えず、単純にリーダーへ捧げるのが神様への近道
献金しないことは罪です。
清野さんを取税人のようにいうのはそれも罪ですね。
[匿名さん]
自分を愛したものを愛したからといって何になりましょう
犬や猫が懐くのと同じです(笑)
[神大日照天神大魔王神]
見よ、世の終わりまで、わたしはあなたがたとともにいる。
[匿名さん]
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。 (伝道者3・11)
[匿名さん]
私は、女が人にものを教えたり
人の上に立ったりすることを
絶対に許さない。
女は家で静かにしているべきである。
テモテへの手紙
[匿名さん]
愛は絶える事が有りません
だから、世の終わりも来ません
[匿名さん]
君が笑ってくれるなら
僕は悪にでもなる
これも愛だよ
間違ってる正しいは関係ない
[匿名さん]
賢者のように、この言葉の解釈ができるのは誰か?それは、私だ。リーダーだ。
牧師の中の牧師である。
コヘレト人の台詞8章1~2節 ②
「固い顔も和らげる知恵を知っている人は誰か」と問い、「それは、私だ」と言う。それでは、彼が得た知恵とは何だ?それは、「王の言葉を守れ…」だ。
王とは、神だ。
王は尊敬される師である。
神の命令は、御自分の地位や権威を振りかざすためではなく、人を愛するゆえの「愛の命令」で「仕えるための命令」だ。
神が「私を信じよ」と命じる時、命じたことを実行するのは神御自身で人ではないのだ。
「私を神とせよ」と命じた方は、信じた人を十字架にかけて、信じた人の支払いを御自分が払った。
賢者は、自分の力で自分を救う人ではない。
友よ。
神の言葉に従うことは、命じた神に神の約束を成就していただくこと。
愛なる神は、愛する民へ、御自分の一物を与えようと待っておられる。
[匿名さん]
あなた方クリスチャンにお願いしたいのは、バイブルを読まれる際に何もかも神学的教義に合わせるような解釈をなさらぬことです。霊的実相に照らして解釈しなくてはいけません。存在の実相が霊であることが宇宙のすべての謎を解くカギなのです。イエスが譬え話を多用したのはそのためです」
牧師「神は地球人類を愛するがゆえに唯一の息子を授けたのです」
と述べて、イエスが神の子であるとするキリスト教の教義を弁護しようとする。
「イエスはそんなことは言っておりません。イエスの死後何年も経ってから、例のニケーア会議でそんなことがバイブルに書き加えられたのです」
牧師「ニケーア会議?」
「西暦三二五年に開かれております」
牧師「でも、私が今引用した言葉は、それ以前からある“ヨハネ福音書”に出ていました」
「どうしてそれが分かります?」
牧師「いや、歴史にそう書いてあります」
「どの歴史ですか」
牧師「どれだかは知りません」
「ご存じのはずがありません。一体バイブルというものが書かれる、その元になった書物はどこにあると思われますか」
牧師「“ヨハネ福音書”それ自体が原典です」
「いいえ、それよりもっと前の話です」
牧師「バイブルは西暦九十年に完成しました」
「その原典となったものは今どこにあると思いますか」
牧師「いろんな文書があります。例えば……」
と言って一つだけ挙げた。
「それは原典の写しです。原典はどこにありますか」
「バイブルの原典はご存じのバチカン宮殿に仕舞い込まれたまま一度も外に出されたことがないのです。あなた方がバイブルと呼んでいるものは、その原典のコピーのコピーの、そのまたコピーなのです。おまけに原典にないものまでいろいろと書き加えられております。
初期のキリスト教徒はイエスが遠からず再臨するものと信じて、イエスの地上生活のことは細かく記録しませんでした。ところが、いつになっても再臨しないので遂に締めて、記憶をたどりながらイエスの言ったことを記録に留めたのです。イエス曰く……と書いてあっても、実際にそう言ったかどうかは、書いた本人も確かでなかったのです」
[匿名さん]
カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい
[神大日照天神大魔王神]