梶田茂生(池田) 3回 センターで1回、投手で2回。
[匿名さん]
高塚信幸(智辯和歌山) 2年春夏、3年夏の計3回。
[匿名さん]
上原晃(沖縄水産)1年夏、2年春夏、3年夏の4回出場。
[匿名さん]
竜王興産の竹島社長は八幡商で3回出場(89年春夏、90年夏)
[匿名さん]
桑田は1年生の夏は15歳4ヶ月で史上最年少じゃないかw
中3と変わらん
[匿名さん]
福井商の中谷は1年夏から4季連続出場。
2002センバツは4強で、3年夏も出場確実と見ていたが、決勝戦で福井に負けた(爆)🐥🇰🇷
[匿名さん]
◇秋田商・高山郁夫(元・西武) 79年夏、80年春夏。
80年春は鹿児島商工、静岡高を抑えて好投した。3年の夏は調子が悪く、田川(福岡)には
勝ったが本調子ではなかった。最後は伏兵・瀬田工(滋賀)に0-3で敗れ、甲子園を去った。
◇東北(宮城)・中条善伸(元・巨人など) 79年春夏、80年春夏。
過去3回は一死も1ストライクも取れず降板するノーコンぶりだったが、最後の夏は見違えるような投球で本西厚博(オリックス-元・阪神)がエースの瓊浦(長崎)、
小林徹(同校監督)がエースの習志野(千葉)を連続完封した。瓊浦戦では2安打無四球、習志野戦でも4安打2四球で制球難を払拭する見事な投球だった。
中条投手の3度の挫折にもめげず、本領発揮した姿は忘れられないなぁ!
NHK解説・松永怜一氏(堀越監督、法政一監督、法政大監督、ロサンゼルス五輪全日本監督<当時は公開競技>)も
「今までつらいことがいっぱいあったと思うのですよ!彼の好投には本当に嬉しかったですねぇ!」と感動していたもん。
◇取手二(茨城)・石田文樹(元・横浜大洋-横浜ベイ打撃投手) 83年春、84年春夏
84年夏全国制覇のイメージからあまり知られていないが、83年春にも出場している。
この時は4校目の枠(前年までの関東枠は3校)に入るギリギリの出場でノーマークだった。
泉州(大阪)に初戦敗退だったからほとんどの方が知らないと思う。
遊撃手として鳴らした吉田剛(近鉄-元・阪神)は当時捕手だった。
[匿名さん]
◇高知商・中西清起(リッカー-阪神)
2年生時の79年春に森浩二(阪急ブレーブス)の
控え投手として出場。
3年春のセンバツ決勝では連投にもかかわらず一番調子が良かった。
帝京(東京)・伊東昭光(本田技研-ヤクルト)に投げ勝ち、優勝。
◇東北(宮城)・中根仁(近鉄-元・横浜ベイ)、斉藤比呂志(東京ガス)、
二人とも1年夏(82年)からの出場。そのあとは2年春と3年夏。
2年春は前年神宮大会優勝の実績を引っ提げて登場。
長浜北(滋賀)を破り、2回戦・大社(島根)に敗れる。
3年夏はエース佐々木主浩(元・米マリナーズ)が好投し、
柳井(山口)と日大一(東東京)を破り3回戦進出。
最後は岡山南(岡山)に5-2で敗れた。平尾健二(大商大-NTT北陸)の
ソロ本塁打などで追い上げたが及ばなかった。序盤の4点は返せると思ったが・・
[匿名さん]
興南(沖縄)・竹下浩二(元・横浜大洋ホエールズ 現・DeNA)
素材は十分で負けん気が強いのはいいのだけど、
それが行き過ぎて裏目に出ることが多かった。精神面に課題が残る投手だった。
2年夏(81年)は早稲田実(東東京、移転後の現在は西東京)・荒木大輔(ヤクルト-横浜ベイ-
ハム二軍監督-ハム投手コーチ)と投げ合った際、「1年生なんかに負けてたまるか」という思いが強すぎて力んでしまった。
3年春は月山栄珠(元・阪神)、村上眞一(阪急ブレーブス-オリックスブルーウェーブ96年退団)らの
強力打線を誇る印旛(現・印旛明誠 千葉)を「抑えてやるんだ」という意気込みが強すぎて力み、1回戦敗退。
3年最後の夏はライバル視された秋田経大附(現・明桜 秋田)・松本豊(元・横浜大洋)に
投げ負けまいと力み、やはり1回戦敗退に終わった。
このころの赤と黒のストッキングを始めとしたユニフォーム懐かしいな。今と違う。
[匿名さん]
東北高校(宮城)・中根仁(法政大-近鉄-横浜ベイ)、
斎藤比呂志(東京ガス)。
1年夏(82年)、2年春、3年夏。
1、2年のときは控えだったけどね。
1年下の同・佐々木主浩(東北福祉大-横浜大洋-
マリナーズ)も3回出場。2年夏と3年春・夏。
3年夏に敗れた甲西(滋賀)より
東北のほうが上だと思ったけどな。
[匿名さん]
今治西高 矢野隆司投手、
1年夏、2年春、3年春、夏と4回出場。
春夏通算27回出場の同校史上最多出場回数。
また、3年春はベスト8、超高校級大投手、江川卓氏がエースの作新学院に完敗。
3年夏は、その屈辱をバネとし、猛練習の結果ベスト4進出。同校史上最高タイ記録。
[匿名さん]