実は禅宗の学校で、愛知学院大学の附属高校
スラムダンクの愛和学院のモデル
[匿名さん]
82年選抜出場のチームは平均身長180センチの大型チームでありながら、
投打の支柱が170センチの彦野利勝(元中日)であったところが面白かった。
東海大会準優勝で乗り込んだが、
横浜商(神奈川)に7ー2で敗れた。
彦野の球は走ってはいたが、球が高めに
浮いて痛打されたのが悔やまれた。
彦野と横浜商・荒井幸雄(元ヤクルト、元近鉄)の
大会屈指のスラッガー対決が注目された。
[匿名さん]
平成のときは知らないが、昭和の時は
あまり勝てなかったんだよな、このチーム。
そこそこのチームを連れて来るのだけど・・
79年春は牛島(元中日ほか)−香川(元南海)のバッテリーを擁した浪商(大阪)、82年は三浦(元中日)、荒井(元ヤクルトほか)を
擁した横浜商(神奈川)、84年は古豪・徳島商(徳島)と初戦で対戦したのが不運だったかな?
しかも、84年のときは大会直前にエース秋田が
アクシデントに見舞われるという不運もあった。
[匿名さん]
一時期、ユニフォームを筆記体からブロック体に変えてたよね?84年はブロック体で違和感があった。
[匿名さん]
82年の敗戦インタビューで、「敗因は彦野が打たれ、彦野が打てなかった」って監督が答えてた。
[匿名さん]
○そうですね。ブロック体の時期があって
私もオヤッ?と思いました。
ユニフォームを変えて心機一転で臨んだのですが、
徳島商(徳島)に大差で敗れました(84年春)。
このときの徳島商には多田勇二(青学大)や広永益隆(元ダイエー)がいて
エース黒上の投手力に課題はあったものの、打撃と守備は洗練されたチームでした。
○82年春のときは彦野利勝(元中日)の球が
高めに浮くことが多く、そこを狙われ痛打されました。
最後のバッターも彦野でした。三浦将明(元中日)が投じた
あの大きなカーブを呆然と見送ったシーンが印象に残っています。
翌日の朝日新聞にもその瞬間の
写真が載っていた記憶があります。
[匿名さん]
79年選抜は森投手があの浪商(現・大体大浪商)・香川伸行(のち南海ホークス)
捕手にバックスクリーン大アーチを放たれてしまったんだよな。
見逃せばボールだったかもしれない。
1回戦で敗れてしまった。
大阪と愛知の野球先進県対決なので
注目して見ていた。
[匿名さん]
夏は2回出場していずれも初戦突破しているが意外にも春は4回出場して未勝利
[匿名さん]
彦野利勝(元中日)で出場した82年選抜は純白のユニフォームだった。
ストッキングに2~3本ブルーのラインが入っているだけ。
アナウンサーも思わず「純白で気持ちがいいですね」と言っていた。
下関商(山口)なども純白でシンプルなユニフォームだけど。
[匿名さん]
84年に選抜に出たけどかなり横着なチームで試合までに何か問題を起こしそうだったリアルROOKIESのようなチーム
[匿名さん]