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政治総合


No.8158567
#21
>>16
李垠(リギン・朝鮮名イウン)は、1,897年(明治30)に大韓帝国の初代皇帝の高宗(コウソウ)と純献貴妃厳氏との間に生まれる。
純宗(ジュンソウ)の異母弟。
1,907年(明治40)、純宗が皇帝に即位と同時に皇太子になる。
幼少時より、日本で教育を受ける。
日韓(韓国)併合と同時に、日本(大日本帝国)の王公族として、「王世子」に封じられ、後に東京都港区赤坂の時の赤坂プリンスホテル旧館(時の李王家邸)で暮らす。
1,917年(大正6)、日本陸軍士官学校を卒業、翌年に日本(大日本帝国)の皇族である梨本宮守正王の第一女子である方子(マサコ)女王(後に李垠の王世子妃)と婚約、(大正9)に結婚した。
純宗が崩御した1,926年(大正15)には、李王家当主を正式に継承し、李王になった。
また、大日本帝国の軍人として、宇都宮連隊長などを経て、終戦時には、中将にまで昇進した。
しかし、李王家と共に李王としての大日本帝国公族の身分と日本国籍を日本国憲法の施行で喪失した。
朝鮮戦争の勃発直前の母国朝鮮国が南北に分断されたため、南朝鮮の大韓民国への帰国は、許されず、李垠夫妻が帰国出来たのは、実に1,963年(昭和38)のことであった。
1,970年(昭和45)に李垠は死去。
李氏朝鮮の末裔が、複数実在しており、末裔の団体それぞれが、李コウ(リコウ・朝鮮名イガン)の末裔である李源(リゲン・朝鮮名イウォン)と李錫(イソク)を当主として承認しており、係争中となっている。


[ 匿名さん ]
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