チャック・オコーナーとしてニューヨークでデビュー。昭和51年に師匠のキラー・コワルスキーと共に黒覆面のエクスキューショナーズに変身し、WWWF世界タッグ選手権を獲得した。マスクド・スーパースターが初来日した時に、その正体として名前が挙がったが、カロライナ地区ではスーパースター2号として試合をした事もある。マスクマンとしては他にキャプテンUSAとも名乗った。
昭和58年のIWGP決勝リーグにアメリカ代表として来日した際も、「気分的な問題」で、マスクを付けて登場した。1987年に現役を退き映画俳優に転身したが1989年にカムバック。しかし1995年に悪性リンパ腫のため病死。