【日本人は人間を食べてはいけない】
「これはうまい。お代わりだ」 日本軍将兵はなぜ“アメリカ人将校の肉”を食べてしまったのか
父島関係で出廷した証人は堀江少佐ら40人。
捕虜を斬殺した1人の伊藤喜久二中佐は「I中佐」として証言要旨が「小笠原兵団の最後」に載っている。
■「肝を食い、必勝の信念の養成に処すべし」
「硫黄島の上陸前夜、2名の捕虜が届けられた。(立花)少将はこの捕虜に猛然と襲いかかった。真鍮のステッキで胴腹に2つずつ打撃を与え、高級副官H(東木誠治大尉)に命じ、司令部前の松の木を背にして針金で首から足まで縛らせ、『この畜生めらが戦友を殺したのだ、見せしめに殴れ、蹴れ、そして憎め』とどなり散らした」
「2、3日、捕虜は生きていた。Tは将校の会食で試し切りの希望者はないか、剣のすごみを披露するチャンスだと言った。副官のH大尉が『中佐殿、あなたは剣豪です。閣下の命令です』と言うので、不承不承このIが切ることになった。第307大隊の地区で大勢監視の前で切ったが、自分としてはいい気持ちはしなかった」。
伊藤中佐は高級将校の養成機関である陸軍士官学校(陸士)で東条英機元首相と同期の17期。
軍人としては高齢だったが召集されていた。
立花中将や的場少佐の人格に関する証言も。
立花中将の当番兵だった元上等兵は「日頃、銭形平次の捕物帳を読んでいた。酒飲みで、よくメモを書き、主計(会計などを取り扱った軍人)のところへ酒買いに行かされた。一升ビン2本をもらってくると自室に置き、飲んだ分量をよく知っており、少しでも失敬するわけにいかなかった。われわれ兵隊を卑しい者と見ていばりくさり、思いやりなどさらさらなかった。私は彼から下劣な成り上がり者という感じを受けた」(同書)。
2020年08月16日
【ソース】文春オンライン
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