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No.5274422
#125
朝鮮総連の人が何度も家に来ては、「北朝鮮は地上の楽園だから」と北朝鮮行きを勧めてきた。

お母さんは迷っていたが父が決意した。

1963年7月18日、北朝鮮へ着いて船をおりた瞬間、6歳の兄が「日本に帰りたい…」と泣きわめいた。

すると、兄は強引にどこかへ連れて行かれた。


5年たってやっと兄に面会できることになった。母はお弁当を作った。たくさんお弁当を作った。

山深い奥地に進み、コンクリート塀に囲まれた建物にたどり着いた。

1m四方ぐらいの「小さな鉄格子のおり」がたくさん並んでいて、中に人間が入れられていた。四つん這いだった。

おそろしくておそろしくて、私は母親の手をしっかり握った。母親も握りかえしてきた。


父が兄をみつけたが、父は顔を真っ青にしてそこに座り込み、私たちにこっちに来るなと言った。

そして父は党の命令で平壌に行った。


しばらくして収容施設で兄が死んだとの通知が一通来た。

私が卓球で体育大学にすすんだ1995年に、大量の餓死者が出た。地方の道ばたにいっぱい死体が転がっていた。

体育大学の学生が死体の片付けを命令され、人間の死体をまるで物のように穴に埋めていった。


この国は絶対おかしいと思い、私は脱北を決意した。


[ 匿名さん ]
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