18年2月、当時39歳だった西村監督の前に、ひとりの監督が現れた。尽誠学園グラウンドで行なわれた中学・高校連携の野球教室での出会いだった。西村監督はその人物の丁寧かつ明快な指導に目を見張った。自らが描くコーチングの理想像だった。
その監督とは、当時、34歳にして隣接する丸亀市にある私学・香川県藤井で指揮官を務めていた青山剛氏。大学から母校での指導者を志し、14年4月、監督に就任。15年春には同校初の県ベスト8、さらに16年秋は県ベスト4入り。選手のクオリティーを引き上げる指導能力を発揮していた。
その後、青山氏は香川県藤井の監督を退いて19年4月からは系列校・藤井学園寒川のバレーボール部コーチに就任。そんな青山氏を、西村監督がそのままにしておくはずはなかった。青山氏は20年4月、異例ともいえる尽誠学園への転職が決定。早速、バッテリー担当コーチとして手腕を振るうことになったのだ。