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プロ野球 メッセンジャーが活躍する阪神、過去の優良助っ人

メッセンジャーが早くもシーズン10勝目を挙げれば、新外国人のロジャースがチャンスで好打を放つなど、助っ人の活躍がチームを支えている阪神。

過去には、バースほど爆発的な打棒があったわけでなく、メッセンジャーほど長きに渡って安定した実績を残したわけでもなく、また、グリーンウェルほどキャラが立っていたわけでもないが、なかなかの活躍を見せたタテジマの優良助っ人は数多い。

彼らの足跡を振り返ってみよう。

■タフなリリーバー

■スコット・アッチソン
阪神在籍期間:2008〜2009年 

2008年の来日当初は先発として起用され結果もそれなりに残していたが、スタミナに不安がありリリーフに。

2009年は75試合に登板し、防御率1.70と結果を残した。

家族の問題もあって2年でアメリカに帰国。

2015年までメジャーリーガーとして投げた。

■勝負強い打撃も持ち味の先発投手
トレイ・ムーア
阪神在籍期間:2002年〜2003年 

1年目の2002年は27試合に登板し10勝11敗、2003年は21試合で10勝6敗と、先発ローテーションの一角としてチームに貢献。

2003年の優勝メンバーでもある。

また、野手顔負けの勝負強い打撃でもおなじみで、阪神在籍2年間で打率.295(105打数31安打)、11打点をマーク。

ヒゲがトレードマークだった。

■この世で一人、阪神の日本シリーズ胴上げ投手
リッチ・ゲイル
阪神在籍期間:1985年〜1986年 

来日1年目の1985年は13勝8敗という好成績を挙げ、21年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。

西武との日本シリーズでも、第2戦と第6戦に先発し勝利。

とくに3勝2敗で迎えた第6戦は、9回3失点の完投勝利。

後にも先にも、阪神唯一となる「日本シリーズ胴上げ投手」になった。

翌1986年は5勝10敗と数字を落とし、その年限りで退団。

■星野仙一監督の胴上げに貢献
ジョージ・アリアス
阪神在籍期間:2002年〜2004年 

タイトル獲得こそならなかったが、2003年は38本塁打、107打点で18年ぶりのリーグ優勝に貢献。

星野仙一監督が蘇らせた「強い阪神」を打撃で支えた。

また、ガッツあふれる守備も持ち味で、この年は一塁手としてゴールデン・グラブ賞を受賞している。

■巧打堅守の優良助っ人
アンディ・シーツ
阪神在籍期間:2005年〜2007年 

広島から移籍したアベレージタイプの中距離打者。

阪神2年目の2006年には打率.310(セ・リーグ6位)を記録している。

広島時代は遊撃手だったが、阪神での在籍3年間は主に一塁手として出場。

同部門で3年連続ゴールデン・グラブ賞を受賞するなど、守備も上々。

引退後は、阪神の駐米スカウトとして活動し、マートンを獲得している。

■メジャーに戻って本塁打王に
セシル・フィルダー
阪神在籍期間:1989年 

在籍は1989年の1年限りだったが、鮮烈な印象を残した長距離砲。

東京ドームでは、看板直撃弾も放っている。

シーズン終盤の9月14日に、三振に激昂し叩きつけたバットが右手に当たって小指を骨折。

残りシーズンを棒に振ってしまうと同時に、38本塁打でトップを走っていたホームランキングの座も逃してしまった(本塁打王は42本塁打でヤクルトのラリー・パリッシュが獲得)。

オフには契約がまとまらずアメリカに帰国してしまったが、1990年に51本塁打、1991年に44本塁打記録し、メジャーで本塁打王に輝いた(ともに所属球団はタイガース)。

なお、息子のプリンス・フィルダーもブルワーズ時代の2007年に50本塁打を放ち、タイトルを獲得している。
【日時】2017年07月28日 16:05
【提供】デイリーニュースオンライン

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