忘れてはいけない門司工の悲劇
15/03/17 22:00
今から40年前に行われた75年の選抜高校野球の出場校は、29校だったのだが開会式は1校少ない28校だった。
理由は九州大会で優勝した門司工(現・豊国学園)が開会式の前夜に野球部員ではない同校生徒が民家に侵入して立てこもり、未明に逮捕された事から土壇場での出場辞退となってしまったのだ。
当時の選抜高校野球に‘強さだけでなく学校の品位も問われる’という規定があった故の悲劇だが、開会式当日に出場辞退というのは前代未聞だろう。
門司工は九州大会決勝で熊本工に勝って優勝し甲子園練習も終え、26日の組み合わせ抽選会では3日目第2試合で前年夏ベスト8の静岡商との対戦が決まり前日には開会式リハーサルをもしていた矢先だけに関係者達にとっては信じられない事だったろう。
代替え出場となった佐世保工も29日朝に飛行機で大阪に入るとナイターで甲子園練習を行い翌日試合なので、まともな試合になるわけないし試合は0−5とリードされた8回裏に一挙4点を返したのが唯一の見せ場だった。
ちなみに門司工は夏はベスト8で南筑に敗れ出場を逃した後、81年にベスト4で9回2アウトから逆転2ランを浴びて敗れると86年にベスト4で優勝候補の柳川に勝ちながら決勝で西日本短付に敗れて未だに甲子園出場できてない。
規定が緩くなった現在では考えられないが、辞退に追い込まれた門司工だけでなく代わりに出場した佐世保工も決して得をしなかった高野連の暴挙には今でも腹が立つし、こういう現場の事を一切考慮せず規定順守のみに汲々とする事のおぞましさを実感した事件だった。
その後84年の函館有斗や87年の東海大浦安に06年の駒大苫小牧と選抜出場辞退チームはあったものの全て野球部関係者の不祥事で、門司工のような一般生徒による不祥事が原因の出場辞退がなくなったのは救いだし、門司工の悲劇の反響の大きさが幾らかはあるだろう。
15/03/17 22:00
今から40年前に行われた75年の選抜高校野球の出場校は、29校だったのだが開会式は1校少ない28校だった。
理由は九州大会で優勝した門司工(現・豊国学園)が開会式の前夜に野球部員ではない同校生徒が民家に侵入して立てこもり、未明に逮捕された事から土壇場での出場辞退となってしまったのだ。
当時の選抜高校野球に‘強さだけでなく学校の品位も問われる’という規定があった故の悲劇だが、開会式当日に出場辞退というのは前代未聞だろう。
門司工は九州大会決勝で熊本工に勝って優勝し甲子園練習も終え、26日の組み合わせ抽選会では3日目第2試合で前年夏ベスト8の静岡商との対戦が決まり前日には開会式リハーサルをもしていた矢先だけに関係者達にとっては信じられない事だったろう。
代替え出場となった佐世保工も29日朝に飛行機で大阪に入るとナイターで甲子園練習を行い翌日試合なので、まともな試合になるわけないし試合は0−5とリードされた8回裏に一挙4点を返したのが唯一の見せ場だった。
ちなみに門司工は夏はベスト8で南筑に敗れ出場を逃した後、81年にベスト4で9回2アウトから逆転2ランを浴びて敗れると86年にベスト4で優勝候補の柳川に勝ちながら決勝で西日本短付に敗れて未だに甲子園出場できてない。
規定が緩くなった現在では考えられないが、辞退に追い込まれた門司工だけでなく代わりに出場した佐世保工も決して得をしなかった高野連の暴挙には今でも腹が立つし、こういう現場の事を一切考慮せず規定順守のみに汲々とする事のおぞましさを実感した事件だった。
その後84年の函館有斗や87年の東海大浦安に06年の駒大苫小牧と選抜出場辞退チームはあったものの全て野球部関係者の不祥事で、門司工のような一般生徒による不祥事が原因の出場辞退がなくなったのは救いだし、門司工の悲劇の反響の大きさが幾らかはあるだろう。