>>768
元々、中国から入ってきたことはその通り。10世紀中頃のこと、南拳北胎といわれ海、川の多い南支那は手技中心の武術。山間部が多い北支那は攻撃的な足技中心の武術。北派拳は少林拳憲法に。その後、琉球と支那の貿易が盛んになり沖縄に中国武術が渡った。
元はティと言われてたものが唐手、さらには空手と変化。薩摩藩の禁武政策は16世紀ごろ。それ以前にはもう沖縄独自の武術として広まっていた。もちろん中国武術の影響は色濃く。沖縄の武術家も技術を学びに支那に渡って師匠から厳しく鍛えられていたと言われる。
因みに那覇手は接近戦と手技中心の南派拳、首里手は足技中心の北派拳の影響が強い。那覇手には騎馬立ちと言われる立ち方はないが、山間部で馬に乗ることが多かった北派拳は騎馬立ちがある。首里手は騎馬立ちを良く使う。騎馬立ちは沖縄空手ではナイファンチ立ちと言う。
本土のスポーツ空手は腰を低く落とし足幅の広い騎馬立ち。ちょっと簡単に書いたが。