共産党が聞き取った要望を岸田政権に伝えても無視するでしょう
[匿名さん]
自衛隊の復興業務の妨害をする日本共産党は世界の恥!
[匿名さん]
山本太郎と一緒な災害対策スキル0のパフォーマンスだけで役立たず党
[匿名さん]
共産党とれいわ新鮮組は 次回選挙で成敗されればいい。
[匿名さん]
パフォーマンスで票が入ると思っている役立たず政党は無くなれ。 議員多すぎ。
パフォーマーが大杉。
[匿名さん]
「どうぞ汚染魚を食べて10年後の健康状態をお知らせください」 共産党 村井あけみ
「どうぞ汚染魚を食べて10年後の健康状態をお知らせください」 共産党 村井あけみ
「どうぞ汚染魚を食べて10年後の健康状態をお知らせください」 共産党 村井あけみ
「どうぞ汚染魚を食べて10年後の健康状態をお知らせください」 共産党 村井あけみ
「どうぞ汚染魚を食べて10年後の健康状態をお知らせください」 共産党 村井あけみ
「どうぞ汚染魚を食べて10年後の健康状態をお知らせください」 共産党 村井あけみ
「どうぞ汚染魚を食べて10年後の健康状態をお知らせください」 共産党 村井あけみ
「どうぞ汚染魚を食べて10年後の健康状態をお知らせください」 共産党 村井あけみ
「どうぞ汚染魚を食べて10年後の健康状態をお知らせください」 共産党 村井あけみ
「どうぞ汚染魚を食べて10年後の健康状態をお知らせください」 共産党 村井あけみ
[匿名さん]
■在日本朝鮮人連盟」と一体化していた日本共産党
活動資金、人的ネットワークをカバー■
敗戦後の日本に「在日本朝鮮人連盟」(朝連)という、共産主義者が支配する巨大な朝鮮人組織が誕生した。この組織は、日本共産党の再建に大きな役割を果す。
『在日一世の記憶』(小熊英二・姜尚中編、集英社新書)にも証言が収録されている李達完は、父親が在日本朝鮮人連盟の長野県本部を作り、自身は日本共産党長野県辰野支部を任されていた人物である。李は辰野支部を設立した当時のことを筆者(東郷一馬)に、
「日本共産党といってもね、当時は実体がなく、名前はあっても形はなく、在日本朝鮮人連盟の上に乗っていただけなんだ」と語っていた。
朝鮮総連の活動家だった李玄鎮も、滋賀県竜王町で中学時代に共産党に入党したが、
「日本共産党に入る時、共産党員というのは5、6人しかいないんです。ほとんど在日の人で、日本人はたった1人でした」と回想する。
地域にバラつきはあるが、終戦時、日本共産党員の多くは朝鮮人であり、地方支部では、朝連と党支部のメンバーの多くが重複していた。いや、むしろ朝連の中に日本共産党があり、一体化して活動をしていたと言った方がいいかもしれない。
[匿名さん]
■終戦後、朝鮮人を利用して勢力を拡大した共産党 党史には書かれない“不都合な真実■
終戦当時、組織も資金もネットワークもなかった「日本共産党」は、その活動の多くを「在日本朝鮮人連盟」に負っていた。だが、両者の力関係はほどなく逆転する。党は、朝連の朝鮮人に入党して日本人とともに活動するよう要請し、事実上、指揮下に置いたのだ。
在日本朝鮮人連盟(朝連)の創設メンバーだった張錠壽は、こう書いている。
「解放後になってから共産党員になった。そして、いつの間にやら細胞会議に出るようになった。朝連の組織部長になったころだと思う。(中略)このころは、『共産主義者の言うことは正しいと思う』とでも言えば、『それならおまえ党員になれ』と誰でも彼でも受け入れたから、本当の共産主義者でない者まで入党させてしまうという誤謬を犯した。(中略)朝連でもはじめは日本にいる朝鮮人は全部入るということになっていたから、民族反逆者であっても誰でも受け入れた。日本共産党もそういう形で、最初は手も足も何もないから、手足を作るために、何かちょっと“だいだい色”にでも染まってるような者だったら、みんな入れたわけだ」(『在日六〇年・自立と抵抗』社会評論社)
これまで朝連が日本共産党(日共)と一体化して活動してきたことは、度々指摘してきた。戦時下で弾圧された日共は、組織も活動資金もなかった。このため戦後すぐに政治犯釈放運動を始め、その歓迎式典を開いたのは朝鮮人たちだった。
[匿名さん]
また警官殺すの?? また警官殺すの?? また警官殺すの??
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[匿名さん]