本間宗久( ほんま そうきゅう 1717-1803 )の横顔
享保2年(1717年)、本間原光の5男として山形市酒田で生まれる。子供のころから「神童」のほまれが高く、父親に似て向こう意気も強かった。寛延3年(1750年)本間家の第2代当主、光寿から家業を託されると、米相場で大当たり、本間家の財産は急膨脹。宝暦5年(1755年)大阪堂島に向かい、「出羽の小天狗」と呼ばれる。享和3年(1803年)没。『宗久翁秘録』(三昧伝)はいまも読み継がれている。
[匿名さん]
公務員という職業はしっかり勉強して、それなりの学歴を持った人へのご褒美。
勉強が足りなかったんだから仕方ないだろ。
[匿名さん]