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大和魂(やまとだましい)とは大まかには、外国と比して日本流であると考えられる能力・知恵・精神などを指す用語・概念。時代によって意味は異なる。
平安時代中期ごろから「才」「漢才」と対比的に使われはじめ、諸内容を包含するきわめてひろい概念であった。江戸時代中期以降の国学の流れのなかで、「漢意(からごころ)」と対比されることが多くなり、「日本古来から伝統的に伝わる固有の精神」という観念が付与されていった。明治時代以降、過剰に政治的な意味が付与されるようになり、第二次世界大戦期には軍国主義的な色彩を強く帯び、現状を打破し突撃精神を鼓舞する意味で使われることが主となった。
関東軍の重砲兵として入隊した当時、「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に当たる」と教えられた。 疑問を挟むと、「貴様は敢闘精神が足らん。砲の不足は大和魂で補え」と怒鳴られた。
—中内功, 日本経済新聞・私の履歴書 2000年1月31日
「防御鋼鈑の薄さは大和魂で補う。それに薄ければ機動力もある。」 砲の力が弱いと言うが、敵の歩兵や砲兵には有効ではないか。 実際は敵の歩兵や砲兵を敵の戦車が守っている。 その戦車をつぶす為には戦車が要る、という近代戦の構造を全く知らなかったか、知らないふりをしていた。 戦車出身の参謀本部の幹部は一人もいなかったから、知らなかったというのが本当らしい。