市川・一家4人殺害事件
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市川・一家4人殺害事件 【事件概要】 1992年3月、千葉県船橋市の無職S(当時19歳)が、以前レイプした女性の家(市川市)に強盗目的で侵入し、一家4人を次々と殺害。少年事件ながら、その残虐な犯行から死刑判決が出ている。 少年S 【大柄な少年】
[匿名さん]
Sは巨漢と言ってもいい体格の少年だった。犯行の動機について、Sは「女性問題でやくざに200万円払えと脅されていたためお金が欲しかった」と供述。あまりの残虐な犯行に、一部報道機関は少年事件でありながらSを実名報道した。
【悪の履歴書、愚かな父親の存在】
Sは千葉県松戸市のサラリーマン家庭に生まれている。まだ幼い頃、市内の公団住宅の団地に当たったので父親の実家からそこに移り住んだ。
歩けるようになってからはスイミングスクールに通い、運動神経は抜群だった。
小学校2年の時、団地を出て東京・江東区越中島のマンションに引越し、学校も転校した。父親は会社を辞め、母方の祖父の店を任されていた。このマンション購入費用も祖父の援助によるものである。だが父親は高級品を買い漁るなど遊び惚け、任された店の売上は落ちていった。
この頃両親が不仲であり、父親が母親の頭を水の張った浴槽に浸けているのを度々目にしていた。この父親は子どもに対しても体罰、というより八つ当たりのようなかたちで暴力をふるった。母親の方も子どもに軽く平手打ちするなどしており、「手を洗え」などと口うるさく言った。そうしたことからSは、週末は勉強道具を持って祖父の家に遊びに行った。祖父母はSを大変かわいがっていた。
3年生の終わり頃、母親とS、その弟の3人は家を出て、母方の実家に戻った。だがすぐに葛飾区内にある風呂もない台所共用の質素なアパートに移っている。父親の借金により暴力団員などの取りたてに追われるようになったためである。後に知り合いの区議の紹介で区内の別のアパートに移ったのだが、ここも銭湯通いだった。
[匿名さん]
ひでー事件だったな。たった一人中学生の子が生き残ったんだよね。余りに気の毒な事件だったよ。犯人も去年ようやく死刑執行されたよね。遅すぎるくらいだよな。
[匿名さん]
関光彦の死刑は当然、死刑は絞首刑ではなく新幹線の轢殺にするべきだった。新庄行きつばさを待避させた後に時速320㎞で郡山を通過するはやぶさ・こまちが関光彦を轢殺、関光彦は脳味噌の血痕と肉片しか残らないバラバラ遺体になる。関光彦の遺骨は新庄市内の山奥に捨てるべきだ
[匿名さん]